前日はゆっくり寝ようと思い早めにベッドに入ったけど 目がらんらん 目がギンギン で寝付けなかった。 私も元々夜勤からの不眠症だったのでそこまで 気にせず、イメトレしながら朝を迎えた。 会場は新木場のスタジオコースト。 かつて遊びに行ったことがある馴染みの場所。 だけど夜クラブに遊びに行くのと自分がステージに立つのでは全くの別空間だった。 本当はその時のことを鮮明にここに書き記したいのだが、緊張していたのもあって覚えていない。 覚えているのは本部からの差し入れ
本来の意味合いと違ってくるが、 お金とご縁についても深く考えさせられた。 私が打ち出した苦肉の策の1000円募金。 面白いことに様々な人間模様も観察できた。 この人は絶対応援してくれるだろう!と思った人がしてくれなかったり、 この人は応援してくれないだろうな、、と思ってた人がものすごい応援をしてくれたり、 予想が外れることがあった。 私の場合そこまで応援してくれなかった人や批判的な人はいなかったが、見事にそういう人との縁は自然と薄くなっていった。 人間関係の整
ありがとうって毎日私たちは誰かと関わり合いがある環境下で伝え合っている。 感謝の気持ち。 それがありがとう。 そう思っていたし、それが当たり前のことだと思っていた。 でも私はBeautyJapanで 有難う。の真の意味と向き合えた気がする。 難が有る。 有難いと思えることには難が有る。 私にとって大会前最後2週間は 自分にとって 難でしかなかった。 そして私を応援してくれた人にとっても 私に投資することは 容易いことではなかったはず。だからこそ【有難う】と
返信が鳴り止まなかった。 「1000円でいいの?」 「もちろんだよ!」 「私と旦那と息子の分も募金させて」 「ゆりえちゃんには色々してもらったからそれくらいお安い御用」 「ゆりえが頑張ってることは応援するよ!」 日本だけじゃなくインドネシアや他の国々にいる友人からも送金が。 「入金したよ!頑張ってね!ゆりえならできる!」 続々と入金連絡のメッセージが私のスマホの画面を埋め尽くす。 もうこれだけで嬉しかった。 今までたくさんのことに感謝して生きてきたけど、全
さぁやるしかない。 私は崖っぷち。 この崖っぷち、別にスルーもできる。 だって誰かにやれって言われてる訳でもないし、強制も義務もない。 ただ自分で決めたこと 自分で自分に約束したこと それを破りたくなかった。 よくプライドなんて目くそ鼻くそみたいなもんだから(言い方汚くてごめんなさい) そんなの捨てちまえって言うけど 捨てちゃいけないプライドもある。 やると決めたらやるんだよ。 それが別にどんな結果になろうとやった事に意味がある。 単純明快な1000円募金
言い訳をやめたその先には 「やるしかない」 この一択だ。 じゃあどうする。 大会まで2週間。 ないアタマを使って出した答えは 「友里絵募金」 なんも捻りもないド直球単純ストレート。 塵も積もれば山となる もうこの作戦でいくしかない。 応援してほしい。 1000円でいい。 本当に1000円応援してくれたら それだけで嬉しい。 動いたら道は私の後ろにはきっとできてくるはず。
BeautyJapan日本大会2週間前 ビリとほぼ変わらない私は 「それでいいの?」 このたった5文字で私の人生の歯車が回り始めた。 でも回り始めたといっても すぐにぐるぐる廻った訳ではない。 行ったり戻ったり ゆっくりゆっくり廻り始めた。 「それでいいの?」 全然良くない。 アタマでは分かってる。 全然良くない。全然良くない。全然良くない。 でもアタマでは分かってても 私のカラダは動かないんだ。 動け、動け、動け、動け、 動いてよ。 今動かなきゃなんにもな
私がBeautyJapanの日本大会のグランドファイナリストだった時 大会2週間前まで下から数えた方が早い順位。 発熱による2nd欠席もあって、、 なんて言い訳に過ぎない。 順位は当然の結果でありやらなきゃいけないことから逃げてた。 BeautyJapanを勘違いする人がいるので少し説明させてください。 BeautyJapanには目に見える応援として ガイドブック応援、そして大会当日来場してくれる応援としてチケット購入がある。 なんだ、結局金かよ。 こう思う方
「足るを知る」 BeautyJapanで学んだことの一つはこの「足るを知る」だった。 人はないものばかりに目がいく。 私もそうだった。 周りと比較し あの子はこういうところがすごい あの子はこんなことができる あの子はあの子はって。 でもBeautyJapanという環境で与えられたものは同じ。 あとの調味料は自分のポケットから出すなり 調理器具は人脈を使って借りるなりそれは自由だ。 さぁ、私は食材を腐らせしまった。 コンテストプログラムだから 順位はつく。
環境を変えたって自分が変わらなきゃ意味がない。 その通り。 でも環境を変えることから自分を変えていくことはできる。 環境を変えてすぐに180度変わる人間なんていない。 今の世の中って情報が溢れ、こうしたらいいとか、あぁしたらいいとか 人生の先輩たちの情報がたくさんある。 結局人は行動の先の結果と、失敗でしか学ぶことができない。 理論上は頭で理解はできるが、自分が体感しないと誰にも真意は伝わらない。 BeautyJapanという環境はとても不思議な環境である。
BeautyJapanとは「コンテストプログラム」であるため、自ら発信し、自分の存在をアピールしないと大会組織に存在を知ってもらうことができない。 (もちろん組織も出場者を知ろうとする努力はする) 私が出場者だった時、実は2ndの欠席事件までこのアピールが全くできていなかった。 なんならCAで見た目が派手で酒が異常に強くて変な奴。という認識。 いや、これも間違ってないんだけど笑 もっと印象は良くなかったはず、 だけど2ndの欠席をきっかけに運営本部の事務局長や本部の方
BeautyJapan日本大会中には大体3回の講習があり、その中で撮影をしたりしている。 現在でもそのスタイルは変わらず1stで個人撮影、2ndで集合写真などの撮影を講習の合間に行う。 私の時の2ndの集合写真のテーマは「Earth Color」 ブラウン、ベージュ、モスグリーンのような色合いのファッションを自分で考え撮影に臨むことが求められていた。 私自身ファッションは大好き。 流行に敏感とかではなく、私の場合は 自分に似合うスタイルが好き。 だから2ndの撮
私がBeautyJapanに出場したのは2020年。 2020年は5月頃にはエリア大会が終わり、6月頃から日本大会のインスペが始まり8/27が大会当日だったような記憶。 さすがに私が出たエリアでもコロナの猛省やまだコロナの現状がよく分からず緊急事態宣言も出た頃だったのでエリア大会はオンラインだった。 でも日本大会は 関係なし!!笑 日本大会のガイドブック撮影のために渋谷の撮影スタジオで撮影したことが懐かしい。 BeautyJapan日本大会には毎年その年のテーマがある
ここで、とは《BeautyJapan》のことを指します。 (とは言え自分の人生においての取り柄にも結局なる) 旧神奈川大会が始まり自分と向き合いつつ このBeautyJapanで自分はどういう立ち位置が良いのかと探っていく時期があった。 人が群れた時にどういう役回りでいくか。 とても大事なことである。 そしてBeautyJapanは《受け身》のままで終わると、とても勿体ない。 出過ぎても良くないが、自立心を持って意見を出すことはいい事。 大体人が群れると勝手に下記
BeautyJapanに挑戦してからの最初の壁 それは Instagram だった。 私はそれまでInstagramはビジネス用として持っていたし、投稿もしていたけど基本 顔出しなし知識系で何とかやっていけないかなぁと やっていた。 でもBeautyJapanって自分が広告塔になって 発信して、知ってもらうようなことがたくさんある。 BeautyJapan用に新しくアカウントを作るか否か。 この際やってみよう。 顔出しして自分を売り込むことに慣れよう。 そう
CAとして飛べなくなって 最初のうちは そのうちまた飛べる。 そんな風に重く考えず、カラダを休める時間にはなった。 CAは体力勝負日系の国内線を4レグとかするのに比べたら楽だけど、深夜便が毎週あるのは今思うと結構大変。 私は飛べなくなるまでCAの他にマナー講師、CA受験講師、土日は結婚式の披露宴の司会までしていた。 着付けのお教室に茶道のお教室のお稽古まで。 深夜便で日本に帰国してから寝ずに他の仕事に向かう。 そして夜はコンパにデートにって 3日寝ないとか本当にざ