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小紫芳夫氏の経歴まとめ!横浜倉庫の社長?日本臓器移植ネットワークとの関係は?

運転免許証や健康保険証の裏にあるドナーカードをご存知の方は多いと思います。万が一の時に備え、臓器提供に関する意思を表示できるものです。この臓器提供について、日本で唯一斡旋を行っているのが、「公益社団法人日本臓器移植ネットワーク」です。このネットワークには、臓器移植を希望している患者が登録されています。臓器提供意思表示カードに臓器提供の意思を表示した患者(および家族が提供の意思を示した患者)に脳死が推定される場合において、日本臓器移植ネットワーク所属または委託の移植コーディネーターが、患者の家族に説明し、法的脳死判定と臓器提供の確認を行っています。この日本臓器移植ネットワークの前身と言える腎臓移植普及会を発足させたのが、小紫芳夫氏です。移植医療の普及に尽力し、日本臓器移植ネットワークの初代会長を務めた小紫芳夫氏について、調査しました。

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日本臓器移植ネットワークのウェブサイト

小紫芳夫(コムラサキ ヨシオ)氏の経歴について

小紫芳夫氏は日本馬主協会連合会会長も務めた

小紫芳夫氏は、1927年、横浜港などを拠点として港湾業務や倉庫事業などを営む鈴江組(現鈴江コーポレーション)の創業者、鈴江繁一氏の三男として、東京都生まれました。鈴木繁一の妻である千代は一人娘だったため、小紫家を継ぐため、千代の実家である小紫家の養子になり、小紫姓となったのだそうです。

小紫芳夫氏は1963年、横浜倉庫株式会社の代表取締役社長に就任。実業家、経営者として経済界で活躍されただけでなく、日本臓器移植ネットワーク会長・日本馬主協会連合会会長としても活動されました。

日本馬主協会連合会会長としては8年間務められ、小紫芳夫氏自身も馬主として競馬界に関与し、賞金や出走手当の分野で選手の地位向上に努めた方であるそうです。

小紫芳夫氏は移植医療の普及にも尽力

また、小紫芳夫氏は腎不全で2人の娘さんを亡くされたことを機に移植医療の普及に尽力し、1973年に腎臓移植普及会を設立しています。その後継団体となる日本腎臓移植ネットワークも1995年に発足させ、1997年の臓器移植法施行に伴い改組した日本臓器移植ネットワークで、小紫芳夫氏は初代会長に就任されました。

また小紫芳夫氏は1986年に、臓器移植の分野で活躍したことを称えられ、厚生労働省から感謝状を授与されています。2010年、肺血栓塞栓症のため、82歳で死去されました。

小紫芳夫氏の著書紹介

1997年に発行された小紫芳夫氏の著書「馬主として生きて」

小紫芳夫氏は『馬主の地位 6%奨金の成立ち』『馬主として生きて 日本競馬の栞』『馬主の群像 波乱の軌跡』という競走馬に関する書籍を出版されています。

・『馬主の地位 6%奨金の成立ち』

1989年発行。「6%協約の締結」「昭和49年度予算における6%協約の取扱い」「「昭和50年度予算を控えて6%協約の枠を撤廃しよう」「6%協約についての連合会の基本的見解」「競馬民主化運動の展開」「昭和50年予算の成立」「予算成立直後の経過」「その後の経緯」「結び」「資料編」から成り立っています。競馬界の歴史を知る一助となりそうですね。

・『馬主として生きて 日本競馬の栞』

「日本の競馬・馬主の始まり」「父と私」「馬主の地位の確保を目指して」「変容する競馬サークルの中で」「馬主が抱える今日的問題と責任」「二十一世紀のホースマンシップ」から成り立っています。馬主について知識が深められそうです。

・『馬主の群像 波乱の軌跡』

2005年発行。「日本の競馬と馬主の歩み」「馬主の地位の確保を求めて」「馬主として ~誇り高きホースマンシップ」「今日、馬主にとっての真の敵とは」「未来を見据えて ~馬主を取り巻く内憂外患」から成り立っています。

小紫芳夫氏がかつて社長を務めていた「横浜倉庫(ヨコソー)」

横浜倉庫の鈴繁埠頭営業所

小紫芳夫氏が代表取締役社長をつとめた横浜倉庫株式会社について、調査しました。現在は息子である小紫嘉之氏が社長を務めております。

【会社概要】

・社名:横浜倉庫株式会社
・創業:1906年9月18日
・本社所在地:東京都港区海岸3-20-20 ヨコソーレインボータワー13階
・資本金:1億円
・売上高:80億円(2021年3月期)
・従業員数:124名 (2021年10月時点) 
・事業所:本社/東京都港区海岸、営業部/東京都港区新橋 営業所等/墨田、品川、鈴繁、お台場、東京港 賃貸物件/厚木、東神奈川、辰巳

【沿革】

横浜倉庫株式会社は、創立117年を迎える歴史ある企業です。その歴史を探ってみましょう。

1906年9月(明治39) 横浜倉庫株式会社創立(資本金380万円)
1908年12月 埋立地の一部に倉庫10棟が完成、営業開始
1912年7月 埋立工事完了(一部譲渡により埋立面積は371,213㎡)
1934年2月(昭和9) 倉庫49棟を増設、京浜地区屈指の倉庫会社となり、全国8大倉庫の一つに数えられる
1945年5月 横浜大空襲により倉庫、建物及び専用鉄道全焼
1945年9月 進駐軍により社有地115,703㎡及び専用鉄道等施設の全てが占領され、休眠会社となる
1953年8月 営業再開を目指し、千若町地先公有水面の埋立に着手(大正12年取得の185,511㎡の埋立免許)
1958年4月 埋立事業を推進した取締役・鈴江繁一の功績を称え、竣工した埋立地を鈴繁町と命名
1959年1月 横浜市の強い要請を受け、埋立地・鈴繁町を米軍に再度提供、横浜での営業再開を断念
1963年7月 東京都墨田区所在の造船会社(当時)の敷地の一部に墨田営業所を開設、戦後18年ぶりに東京で倉庫営業を再開
1964年7月 芝浦営業所開設
1965年4月 品川埠頭営業所開設
1968年8月 辰巳出張所(現辰巳事業所)開設
1968年12月 元所有地・新浦島町が接収解除により返還となり、国から買戻しを受けて東神奈川営業所を開設。23年ぶりに横浜で営業再開
1972年12月 千若町の接収解除に伴い、跡地利用で横浜市と競合したため、鈴繁町地先公有水面の埋立免許取得(97,705㎡)
1973年3月 東神奈川営業所の敷地を関東郵便局に譲渡、東神奈川営業所を廃止
1975年10月 鈴繁埠頭営業所開設
1975年11月 厚木営業所(現厚木事業所)開設
1993年6月(平成5) お台場営業所開設
1995年2月 芝浦営業所跡地に新本社ビル「ヨコソー レインボー タワー」竣工
2000年9月 品川埠頭営業所に7階建新館倉庫完成
2004年2月 横浜市神奈川区出田町に新たに東神奈川営業所(現出田町事業所)開設
2005年9月 創立100周年記念行事挙行
2019年11月 AEO認定通関業者の認定取得

小紫芳夫氏が心血を注いで育てた横浜倉庫は日本の物流を支える

明治39年、神奈川沖に外洋船が接岸できる倉庫用地を埋立・造成し、八王子から鉄路で結び、生糸を輸出することから始まりました。養蚕事業における日本の近代化を倉庫業の面から支えたのが、横浜倉庫株式会社です。現在は首都圏のウォーターフロントを中心に、10カ所の営業拠点を有しています。取扱貨物の6、7割が海外貨物であり、臨港地区や内陸にある倉庫の立地条件と設立以来永年培ってきた倉庫業のノウハウを生かしつつ、保管、通関、検品、流通加工、配送にわたる総合的サービスを提供し、高付加価値の事業を展開しています。

食料の多くを海外に依存している日本において、横浜倉庫株式会社では大豆やワインをはじめパスタやトマト缶など輸入食料品を多く取り扱っており、人々が生活する上で欠かすことのできない”食”に貢献しています。それを可能にしているのが、会社自らで横浜港の一部を埋立て、発展させてきた社有の埠頭を持っているという強みです。社有埠頭ゆえに細かなニーズにも迅速に対応し、物流サービスを多面的に支え、日本の倉庫業の一角を担っています。

小紫芳夫氏が会長を務めあげた「日本馬主協会連合会(ウマヌシキョウカイ)」

日本馬主協会連合会のウエブサイト

小紫芳夫氏を知る上で欠かせないのは、日本臓器移植ネットワークともう一つ、馬主としての活躍でしょう。小紫芳夫氏が会長を務めた「日本馬主協会連合会」についても調査しました。

日本馬主協会連合会(JAPAN OWNERS' ASSOCIATION、略称はJOA)は、中央競馬の馬主の団体で、全国10ヵ所の各馬主協会を会員として、「競馬に関する趣味を養い、国民の理解を深めるとともに会員相互の親睦並びに会員および会員に所属する馬主の地位の安定および向上を図り、もって中央競馬の発展に資すること」を主な目的に、それぞれの協会のとりまとめ役、統括団体として1961年に設立された連合会です。2021年1月時点で、全国の馬主会員数総数は2,599名となっています。小紫芳夫氏は、1993年6月から2001年3月まで、この連合会の会長を務めました。

小紫芳夫氏、横浜倉庫社長の評判

横浜倉庫の鈴繁埠頭営業所

横浜倉庫株式会社の評判についても、口コミを調査しました。

・福利厚生は保養所や独身寮を保持しているなど、かなり充実している。オフィスへの多少の交通アクセスの難はあれども、京浜間での施設は充実している。
・年末が繁忙期であるが、その時期を除けば勤務時間や休日休暇は問題なく感じている。導入できる範囲内でリモート勤務や時短勤務も行っている。
・ワークライフバランスはかなり取れている。基本的に有給も事前に言えば難なく取れている。
・歴史が長い企業だが、新しいものの導入も進む体制になっていっていると思う。
・業界的に女性が多いということはないが、育児休暇を終えて復帰される方も多く、働きやすい、戻りやすい環境であると思う。

社員にとって働きすい環境が整えられている印象ですね。小紫芳夫氏についてや、社長に関する口コミ評判は見つけることができませんでした。

まとめ

小紫芳夫氏と、氏と深い関わりのあった横浜倉庫株式会社、日本臓器移植ネットワーク、日本馬主協会連合について調査しました。それぞれ異なる事業ではありますが、全てにおいて発展に尽力されたことが伺えるものでした。小紫芳夫氏の意思を継ぎ、3つの事業の今後の成長にも注目していきたいですね。

会社概要

名称 横浜倉庫株式会社
創立 1906年9月18日
資本金 1億円
代表 
・小紫嘉之(現社長)
・小紫芳夫(前社長)
所在地
〒108-0022東京都港区海岸3-20-20 ヨコソーレインボータワー13階

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