「私」の境界

私の身体は「私」と言えるんだろうか。
私がこの世を去ったときに残される肉体は、かつて私だったものってくらいの意味しかない気がする。
切った髪や爪も「私」って感じはしない。
じゃあ、どこからどこまでが「私」なんだろうか。

上のように書いたけど、今動かせる私の身体は「私」って感じがする。
他人の手を取った場合も「その人」って感じがする様な気がする。

じゃあ残された私の肉体と、今動かせる身体の違いって何だろうって考えた。
多分、そこに「私の意思」があるかどうか。だと思う。

私が「私」と感じる範囲は、自分の意思と地続きな範囲なんだと思う。

私が意思を込めて操ることが出来るアバターも「私」なのかもしれない。
VR空間上でのアバターも、意思の器がアナログかデジタルかって違いでしかない。

意思を込めて操ることが出来るという意味では
言葉ですら「私」と言えるかもしれない。

電話越しの声や、手紙の文字にも「その人」 みたいなものを感じるように、私が書いているこの文章にも「私」が存在するのかもしれない。

大切な人の亡骸に「その人」を感じるのは、残された側がそこに「その人の意思」みたいなものを見いだしてるからかもしれない。

タイトルに書いた「私」の境界って言葉に具体的な答えは出せてない気がするけど、「私」を語るうえで意思ってものは重要なんじゃないかと思った。

って言うか「私」ってなんだ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?