お寿司屋さんとテセウスの船

月一で日記みたいなものを書こうと思ったけど相変わらず書くことがない。

オンラインでライブを鑑賞したり、
リアルタイムに進行する謎解き企画みたいなものを観測したり、
色々と楽しかったことはある気がするけど、あえて文章に書き起こせるものでもない気がします。
感想を書くのが苦手なので、面白かった!楽しかった!最高!といった感じの文章しか書けない。

何か書くことあったかなと思い返してみて、久しぶりに回転寿司に行ったことを思い出した。

お寿司屋さんの話

知人に誘われて くら寿司に行ってきました。

私は生ものが苦手です。
もちろん大抵のお寿司は食べられません。

食べられるものと言えば、稲荷寿司、きゅうり巻き、納豆巻き、お肉系、サイドメニューくらいです。
5皿+うどんでお腹いっぱいになるので問題ないんですけどね。

どうでも良い話しですけど、くら寿司で使われている寿司カバーを片手で開けるのはめちゃくちゃ得意です。百発百中です。

温かいお茶が飲み放題なの良いですよね。無限に居座りたい。

名探偵コナンとコラボしていたカプセルトイ的なヤツは当たりませんでした…。

幕間

お寿司の話でもう少し書ける気がしてましたが、気がしただけでした。

何文字以上を目標に書くといった決まりがある訳ではないですけど、短いような気もするので、3月に思考していたことを書いていこうと思います。
日記でも何でもないですけど。

オタク的テセウスの船みたいな話

  • 同じゲームシリーズが好きで、その話を良くしていた知人A(なんならそのゲームの話しかしていないレベル)と数年振りに再開したという仮定の話。
    私はそのゲームシリーズを今はプレイしていなくて、新作の情報も追っていないとする。
    そういう状況になったら多分知人Aからしたら私という人間は昔の感覚で会話が出来ない相手になってしまっている気がする。

  • 夏休みとかの長期連休を挟んだ後の登校日、休み時間に良く話していた相手とかでも、どんな距離感やノリで話していたか分からなくなることが良くあった気がする。
    今は誰に対しても敬語風の丁寧な感じの口調で話すようにしているので、迷わずに済むようにはなりましたが。

  • 幼い頃は割とゲームをプレイする人間だった気がします。
    兄弟が買ったゲームをプレイして「面白い!最高!」という感じでした。
    同じく兄弟が漫画も買う人だったので読んで「面白い!最高!」と言ってた気がします。
    兄弟が読んでいる漫画がアニメ化すればそれを見たりもして、そこが入り口でアニメオリジナルの作品とかも見始めた気がします。

    ゲームも漫画もアニメも、大体何でも「面白い!最高!」なので必然的に時間が足りなくなってきます。
    アニメは毎週見ないとあっという間に溜まってしまうけど、ゲームはある程度プレイしない時間を作っても問題ない、という思い付きで「面白い!最高!」なゲームをプレイするのをやめました。

    そのうち小説も「面白い!最高!」になってしまったので相変わらず時間は足りません。思い付きで「面白い!最高!」な漫画を読むのもやめました。

    1クールに放送するアニメの本数は増えていき、相変わらず時間は足りません。思い付きで「面白い!最高!」な小説を読むのもやめました。

    衝動的に何でも捨てたくなる気質とちょうど良く噛み合ってたので、「面白い!最高!」なアニメを見るのもやめたりしました。
    思い付きで聴いてる音楽も全部新しいジャンルに入れ替えたりしました。

    久しぶりにゲームをプレイすると「面白い!最高!」だったし、漫画や小説も「面白い!最高!」でした。

    「面白い!最高!」な物でも思い付きでやめられる人間だったし、何をやめても他に時間をつぶせる何かがあれば問題ない人間でした。

ここら思考の本題。

触れているコンテンツを都度入れ替えているだけなら何でも楽しめる良いオタクなのかもしれないけど、私は一年前に読んだ小説の叙述トリックに改めて驚けるくらい記憶力が悪いです。

数年前に同じコンテンツを共有していた人間と再開しても昔話すらまともに出来ません。

過去の私と今の私に「オタク的ステータスの同一性」があるのか良く分からない気がします。

多分、知人Aからしたら私は別人みたいなものなんじゃないでしょうか。

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