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選択肢

こちらに行って来ました。


私、この映画のHPのこの部分だけ見てて。

幸せのかたちは人それぞれである。
結婚をして子供を産む。それが幸せと言う人もいれば、
結婚せず仕事をバリバリ頑張り、一人で生きていく。それが幸せと言う人もいる。
子供を持つ選択、持たない選択。いろいろな選択肢がある。
しかしそれは選択肢を持つ人のみが悩む、選べる幸せのかたちである。

誰もがその選択肢で悩めるような社会になることを願い、そのきっかけになるような映画にしたいと言う願いが作品には込められている。

選択肢に悩めない環境で思い付いたのが、家族との縁(家庭環境、しきたり、毒親)と子どが持てない環境(経済的、家族、体の面)だった私。

ある意味それもひっくるめてたんやけど、私の中ではそれより上をいってた。
選択肢に悩めない環境がLGBTQだった。

私は自分の幸せは自分が決めるんや、人は人、自分は自分、という考え方なので
(これは自他共にだと思う。職場の人からは"一匹狼"だと言われてる事珍しくない)
LGBTQに関してもその方が幸せならええやん、という考え方ですが。
幸せになりたいのになれないようにしてる立場でもあるよな…とふと思う。
一番考えてしまったのは自分の身内に打ち明けられたら、自分がどういう態度を取るだろうか。
勿論否定的な態度はしないけれど、受け入れる態度が逆に相手の気を遣わせないだろうか、とか。
普通に接する事で何か傷つけている言葉はないだろうか、とか。
私の中では、癌と余命を告知された人にどう接したら良いかという感じに近いかも。
この発言も失礼かもしれない。
自身はデリケートな事と思ってるがゆえ、こう考えて接するのが一番傷つけてるのかも。

この映画を見て、親しき人にLGBTQの方に会ったら自分の思いを話してみようと思った。
上記に書いたような思いから相手に投げ掛けて話を聞いて、選択肢が増える間柄にしたいな、と。
映画事態は30分弱の短編だったので、なだぎさんがトークショーで言ってた通り、是非完全版が観たい。
映画ラストからの続きが一番知りたいし、大事だと思うし。

あとこの映画見て、普通って言葉の残酷さに打ちのめされた。
勿論救われる言葉の一面もある。日常にありふれた言葉だからこそ。
でも使い方間違えると凶器に変わる。包丁みたいなもの。包丁を使わないと料理出来ないものもある。けれど、人を殺める事も出来る。
教育業界には普通が溢れ過ぎて、私も嫌になってる。でも私基準の普通もある。
難しい。永遠のテーマだ。

トークショーについてはまた別記事だぜ。

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