仮面の恋⑨

宿のキングサイズのベッドは、二人が眠るには半分以上余ってしまうから無駄だと思った。このスペースに洒落たチェス台でも置いてくれれば、良かったんだが…。やる事がないとすぐにセックスに走ってしまうのでもう少し理性的な遊び方を意図的に組み込まないとデートの意味がない。

何度か交わって気が済んだ頃は、夜中の2時を回ろうとしていた。泥みたいになって、互いの四肢を絡ませていたら、急に彼女が口を開く。

👗「あなたの子供の時の話を聞かせてよ？」
⚗️「…さして面白くないよ。君の話の方がいい。」
👗「面白いかどうかはわたしが決めるわ、教えて？」
もう目に鳩が止まったような状態なのに、仕方がない。
子守唄でも口ずさむように、半分眠りながら回想をはじめた。

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修道院を出たのは14歳の晩秋だったと思う。
居場所を求めて繁華街に出た。
IDがないので、まともな仕事はできないだろうと、道端で踊るジプシーの女の子に声をかけ相談した。彼女から界隈を仕切る男を紹介してもらい、仕事を貰った。仕事と言っても、片足のない老犬とペアを組んで、缶カラを置き、道端に座り込むだけだ。あまりにも退屈ではあるが、こんなに楽でいいもんなんだな、と驚く。シスターの授業とえらい差だ。

通りの向かいに老舗デパートのショーウィンドウがあり、入れ替え作業をずっと眺めていた。飾られたコートや靴の造形は、植物のように洗練されて無駄がなく、満開の花のように人々の目を奪っていく。いつか自分もあのような服を着る立場になるのだと確信を持って眺めていた。
1日中座り込んでいるだけで、一万マドル近くは貯まった。約7割は上納金としてコミュニティーに納める。日当たり3000マドルでやっていかねばならないが、食うには困らない。しかし、２日目にはあまりに暇すぎて、とうとう俺は隣の老犬の思考が読めるスキルを習得してしまった。自分が最初に魔力を自覚したのはこの時だ。

対話を進めるにつれ、老犬の足を折ったのがコミュニティのボスだと悟り、習得したばかりの魔法を駆使して同じようにボスの足も折ってやった。よほど恐ろしかったのか、もう金は要らないから老犬を連れて、二度と自分に寄るなと言われた。

これで稼ぎの効率は格段にあがったが、何もしないというのが性に合わない。朝方に老犬を連れて街中を物色していると昨晩の寒波がこたえたのか、雪に半分埋もれ、倒れて動かないルンペンを見つけた。大男に見えたが洋服を何重にも着込んでいるだけで軽かった。おそらく既に死んでいたと思う。そいつが抱えていた靴磨き道具を有り難く頂戴する事にした。

靴磨き屋は悪くなかった。あらゆる高級靴を思う存分手に触れることができる。客がいろんなスタイルや素材の名称を教えてくれるので知識も溜まった。特にウィングチップというデザインが手が込んでいるし派手で気に入った。
踵の靴擦れをこっそり魔法でなおしたり、磨きこみのセンスもあったので、数日で客が並ぶようになった。数週間もすれば、自分より年齢の低い孤児達が仕事をくれと、俺にたかるようになってきた。
彼らに技術を教え、魔法が必要ない工程は子供達に任せて、分業して効率をあげていった。そして自分の時間が空くようになると、図書館で百科事典をＡから順番に読み漁る楽しみを覚えた。

そんなある日、仲間の一人が発熱した。IDがないから医者にかかることはできない。俺は図書館で魔法薬学の文献を読み、必要な薬草を仲間に取りに行かせ、魔法調合を試み、見事成功させた。
薬剤師の資格などないから違法だったが、噂は拡散し、貧困で医者にかかれない人々が四六時中訪ねて来た。靴磨きとダブルワークでそれなりに儲かった。

確かその年のクリスマスだったか、デパートのディスプレイが、今までになく美しく輝いていた。ホリデーの街には普段はみかけない派手な高級車がごった返し、両手に持てない程のプレゼントを抱えた家族が忙しそうに横切って行く。
修道院とは全く違う、うるさくて騒がしい夜にこちらまで高揚がうつってくる。

あの赤い車はいくらするんだろう？街を乗り回してみたい。
ミドル層向けのブランド靴は、八万マドルだときいた。コートはその10倍。
仲間と豪遊するには、まだまだ金が足りないな、もっと稼がないと！

そんな考えから俺は道を外す。
富裕層から金を取るスキームに手を伸ばす。快楽のためのドラッグだ。これは恐ろしく儲かった。仲間全員に靴とスーツを調達し、毎晩ステーキハウスに連れていける程に金が入った。
難点は、新薬開発時のテストだ。
富裕層は新しモノ好きだから、常にsomething moreを求めてくる。最初は仲間に被験してもらっていたが、働かなくなるので禁止した。おまけに取引相手は頭がそれなりにキレる奴らなので、交渉事は駄犬頭には務まらなく、この分野は俺一人で全てを対処する事にした。代わりに、仲間には文字と算数を教えて、靴磨き(もうこの頃には小さな店舗を持ち、靴の修理屋になっていた。)と医療薬品分野は彼らに運用を任せた。

そんなある晩、俺は死を見ることになる。
今までにないレベルにトリップできる魔法薬を、見たことがない高額な見積もりで発注され、理論上身体に影響がでないギリギリのレベルに精製した。しかし試すのが流石に怖い。
取引が成功すれば、どんな高級車でも手に入るだろう。持ちきれないほどのブランド品を車に詰め込んで…暖かい家で仲間たちにプレゼントを渡して、豪華な食事をして、好きなだけ騒ぐ。
今回もきっと大丈夫だ、そう言い聞かせて針を刺す。

テストは地獄だった。
鳴るはずのない大聖堂の鐘が頭の中で大爆音でうねり、巨大なシスター達が憐れみの眼で俺を見下ろし、踏みつけていく。雪の日に死んだルンペンに胸ぐらを掴まれ「お前と俺の、何が違う？」と恫喝され、気がおかしくなる。

発狂して、アジトから大通りの車道に出てきてしまったようだ。
うっすらと意識がもどり早く仲間に助けを求めたいが、身体が全く言うことをきかない。地べたに這いつくばり、安全な場所へ移動を試みるがダメだ、地面がグニャングニャンに歪んでいて進めない。異常に気づいて、ついてきていた三本足の老犬が力なく顔を舐めている。どうやら俺は泣いているらしい、このまま死ぬのだと…
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⚗️「その時、遠くから黒い馬車が凄い速さで近付いてきて、確実に轢かれると思ったが、それはNRCからの使者だったんだ…」
ここからやっと、彼女が喜びそうな愉快な学園話が沢山できるのだが、いよいよ話疲れたので、やめた。とうの昔に眠ってしまった彼女の肩まで毛布を引き上げる。
👗「そう、頑張ったのね。偉いわ、デイヴィス。」
寝言だろうか？
か弱い声は、そのまま寝息に消えてしまった。枕に頭を預けながら、暫く彼女の寝顔を眺めていたら、不思議と涙が頬を横ぎっていった。
死の恐怖に涙したあの時とは違う。
ただひたすら胸が締め付けられて、どう形容すればよいのかわからない。
次々に流れ落ちる水滴をそのままにやり過ごし、やがて自分も深い眠りについた。