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ヒューリスティック・シティ

次の時代に移り変わるタイミングが来ちゃったんだ。変化には痛みがつきものなんていうといつぞやの総理大臣みたいだけど、ミキサーに入ったサラダがジュースになるのをこの身で体感してるんだとすれば、そりゃ痛いに決まっている。
平成から令和に移り変わるなんてはしゃいでいたのが遠い過去のよう。今思えばあれは伏線というか匂わせのようなものだったんだななんて思う。ご親切に予告されていたワニの死だってうまく受け止めきれなかった人類に、時代の変容なんて乗りこなせるのだろうか。忘れるとか慣れるとかそういうのは得意だから案外いけちゃうのかもしれないけれど。落っこちたひとは見ないふりして。
未知のウイルスに恐怖する日々が日常になってきて。みんな顔を覆って距離をとって生活して。オンラインでのやりとりに一喜一憂して、遠くの誰かが傷ついていることに心を痛めて。会いたい人が笑っているのか泣いているのかわからないまま生活している。
どこかに行きたいね、でも我慢しなきゃねなんて言うけど、そもそも私はどこに行きたいのかもわからない。どこに向かっているかもわからない。
未来を見据えているようなふりをしていても、私たちは見てきたものしか経験してきたものしか知らない。知らないからこわい。だって知らないんだもの。
外に出なくても仕事はできると気づいてしまったひとがいる。外に出なければ狂ってしまうと知ってしまったひとがいる。外に出なければ餓死してしまうと怯えたひとがいる。外に出たら死ぬと思ったひとも思わないひとも、今は非日常を日常として消費している。知らないことなんて知らないふりして、非日常を日常に落とし込もうとしている。
これが終わったらさ、って何気なく交わした約束が戦争映画のプロポーズみたいなフラグに思えて泣きそうになる。それでも朝がきて、何事もなかったかのように生活できているから。
終わったら新しいものがはじまる。きっと、何度でも朝を迎えられる。またあなたに会える。だって、今までそうしてきたから。
なんの保証もない薄っぺらい経験則だけを信じて前を向く。
すっかり変わってしまった新しい時代で、変わってないふりして過ごせますように。

次の場所で会いましょう。

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