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日記

3ヶ月ぶりの日記です。前の日記が8月の半ばで、そのすぐあとに仕事の繁忙期が始まり、文章をどう書いてたかすっかり忘れてしまった。日記を〈忘れないように〉書こうとおもうとき、その忘れたくない対象は日々のほかに文章の書きかたも含まれるね。思い出していきましょう。

仕事の繁忙期についてはどうでもいい、忘れてもいいことだけど、どれくらい嫌だったか書いておこ。担当する仕事が変わってから初めての繁忙期で、勝手が何もわからないのがまずしんどかった。整理整頓と時間の管理だけできてたら大丈夫だからと言われてたけど、どっちもめちゃくちゃ苦手なやつだ。部屋は汚いし一人暮らしのときはわりとゴミ屋敷の準備段階まで行ってたよなと思うし小学生のころから机のなかのごちゃごちゃさをどうにかできたらねと言われ続けてきたわけ。子どものときは夏休みの宿題を終わらせられたことなかったし、大人になってからも各種締め切りをギリギリまでのばしてもらったりしている(各位ほんとうにすみません)し……他にも、いろいろ……。整理整頓と時間の管理を自分が本当に本当に苦手だなと確認しながら働いてました。その苦手な部分を重点的に助けてくれる同僚がいたのと、「こんなに向いてないひとをこのわたしに任せるなんて、何があったとしても任せたほうのミスだよな」という気持ちで乗り切った。
子どものころ児童劇団にいたときとか、中高の吹奏楽部のとき、「気づけば本番の舞台がすぐ目の前にあって、舞台袖でその光を見てる、本当にこの瞬間って来るもんだったんだな」てくらくらした気持ちになるのが好きだったんです。それって何か、青春ってそういうものと思ってたけど、この仕事をしていて自分は「いつまでに何をどれくらい進めればいいか」とかを考えるのがほとんどできなくて進捗がヤバくても焦る気持ちにならない──なれないっぽいなと気づいて、その頭のなかでの段取りのできなさが作ったきらきらの幻覚だったのでは?と考えたりもした。
時間の管理の仕事のなかに関係するいろんなひとの作業の進捗を確認したりも含まれていて、そのときは「私も進捗ダメダメ人間なのにな」とか思って落ち込んでしまったので、また仕事で原稿の取り立てをすることになったときの自分の感情のためにも、短歌とかの締め切りを守れる人間になりたいものです。
仕事の話はこれくらいでやめとこ。

繁忙期が始まってすぐ誕生日が来て、32歳になりました。誕生日に双子で(度胸があればひとりで)ちょっと高級なホテルに泊まるのをまたやりたいんだけど、繁忙期と感染症の流行の長引きとで実現できていなくてかなしい。ツイッターで自分の短歌をもとに作品をつくってツイートしてもらう企画をやって、いろんなひとが参加してくれたのはうれしかった。
友だちたちからのいろんな誕生日プレゼントもうれしかったな。真っ赤なリップ、ゴスロリなミニハット、サルートのマスク、野ばらって名前のチーク。双子の姉とのプレゼント交換では蛇の指輪とt薔薇が氷漬けになって棺に入ってるみたいなモチーフのネックレスをもらった。薔薇が名前に入る私の好きキャラクターが生死不明の状態なので、縁起が悪いかなとおもったが、裏にリバースと書いてあるからよしとしたとのこと。早く復活してくれ、野薔薇ちゃん……。私から姉には当日はミッフィーの色々を渡して、後日(通販で買って発送が始まるのが思ったよりあとだった)ドンブラザーズのソノザのイヤーカフをあげた。誕生日の近いアイカツ!仲間の友だちにすごく日が空いちゃったけど(贈りたい商品の発売を待ってたため)テイクミーハイヤーって名前のネイルを贈り、同じのを自分用に買ったりもした。色で選ぶとだいたい緑ばっかりになっちゃうから、名前で選ぶと思いがけずいいじゃん♪て色を手に入れられたりして楽しい。
年齢を重ねることについて、25歳くらいのときは「大人になったと思ったけど全然中身は子どものときと変わらんな……これでええんか……🤔」感が少しあったけど、今は「こんな32歳で大丈夫か? いや、けど、こういう32歳がいるって子どもの自分が知ったら絶対『いいじゃん……』ておもうとおもう☺️」てかんじだ。

大学生のときにバイトしていた映画館が移転してしまうことになった。ツイッターを見て知りました。バイトしていたときから古びた建物だったし鳩が場内に入り込んだりしてたから、この先ずっと長くあるわけじゃないよなとわかってはいたけれど、愛した場所がなくなるのは切ない。バイトを始めたのと、そのとき編集担当していたサークルの機関誌の入稿時期と、ロシア旅行と、震災とがほとんど同じ時期で、思い出すとあれから一歩も動いていないような気持ちになる。
とりあえず今は地方で働いているバイトの後輩にLINEを送って知らせると「東京に行く機会があれば映画も最後に観に行きます」とのことで、「そのときよかったらご一緒しましょう」「もちろん」みたいなやりとりをしたりした。それでちょっと忘れたころに「いま東京に来てるんですが明日映画どうですか」と突然連絡があったので笑った。働いているとどうしても遊ぶ約束って丁寧に計画しがちで、そういうお互いのスケジュールをおもんぱかる、数週間とか何ヶ月か先のひかりを作るような約束も愛しいけれど、やっぱり「明日どう?」みたいな遊びがやってくるとうれしい。約束した日から約束の日までにあいだがあるとだんだん憂鬱になってドタキャンしてしまったりもするから、あいだがないと助かるというのもあります。
翌日、雨のなか映画館に向かった。近くのカフェーで待ち合わせる。でも後輩には学生時代仲良しだった友だちがこっちにいて、それを思うとせっかくトーキョーにいるのにその子に合わなくていいのかな。とか考えながら待っていたら後輩からその友だちも誘いました、大丈夫ですよね、と連絡がある。大丈夫だ。大歓迎です。偶然その友だちのほうから後輩にすごく久しぶりの連絡があり、一緒に映画行かんかって話になったとのことだ。
3人で映画館に入る。ちゃんとチケットを買う。最終回だから少し安い。映画は「マイスモールランド」を見ました。映画館を出る前にはバイトしていたときからの社員さんに挨拶をして場内で写真を撮らせてもらい、映画館を出たあとは飲み屋さんに入って3人で映画の感想を言い合ったり軽く近況を報告しあったりした。みんなそれぞれの暮らしをしていて、いいですね。

人と会ったのはそれくらいだけど、離れて暮らす友だちと毎週末LINE通話をするのはずっと続いています。お互い用事があったり体調が思わしくなかったりでなしになる週もありつつね。本当は目的がある通話なんだけど、忙しい日が続くので、仕事の愚痴を言い合ったり最近見てよかった映画やドラマ、読んでよかった本を報告し合っている。
そうだ、ほとんど一年ぶりに美容院に行ったんだった。とりあえず派手な色を入れたかったから、近所で「デザインカラーが得意」の美容院を探して行った。美容院も整理整頓や時間の管理と同じくらいずっと苦手なもののひとつだ。鏡が目の前にあるのがいただけないし、どんな髪型にしたいですかとか、そういうのまったくわからんもんな。派手な色にしたいだけはわかる。髪の色が派手だと元気が出るからね。それで、そういう人間にかなり向いている美容院だった。「おまかせで、でも短くはしたいです」て言って、「女の子らしさが残るように」とか言わずに、「よし、似合いそうなのでかっこよくしていきますね」って言ってくれる。最初の問診票みたいなやつに、普段着はスカートかパンツかとか普段のスタイリングの時間はとかの質問があり、性別を記入する欄がないのもよかった。美容院に行かないでいる時間に勝手にのびて、生まれてはじめて「前髪がない(前髪も他の髪と同じ長さになっている)」状態なのは維持の方向でお願いした。で、アシメのショートボブ、青のハイライト入りというかわいい髪型にしてもらってハッピーでした。好きなキャラクターのイメージカラーだから赤もいいなと思ってたんだけど、また次の次の次くらいにそうしてもらおうかな。「深めの青が似合うとおもったんですけど、次は明るいエメラルドグリーン足してもいいかもですね」と提案されて「それってサイコーじゃん」と思って次の予約も入れてしまった。美容院でそのまま次の美容院の予約をするのって初めてです。
あと、美容院目の前に鏡があって嫌問題については、視力が落ちたことで眼鏡をはずせば鏡のなかはぼんやりとしか見えなくなっており、勝手に解決していることに気づきました。
それで、その美容院の翌日が友だちとの通話の日だったので嬉しかったな。友だちが「私も次美容院行ったら髪色明るくしようかな」と言っていて、その友だちは大学の基礎講義みたいなクラスで同じになった子なんだけど、ひとの顔を覚えれない私がまずその子のことを覚えたのは、クラスでひとりだけ髪をハイトーンにしていたからだった、のを思い出しながら「明るくしたら見せてね」と言った。

ツイッターを維持するひとがいなくなってツイッターがなくなるのでは、みたいな話をきいて、なくなったらさみしいなあと思っています。嫌だなあと思ってる部分もいろいろあるからそれとはおさらばしたく、なくなったらなくなったでたぶんすっきりするはずだ。けど、13年(13年!)見てきたタイムラインの、どこのだれか知らないひと、何が好きかを少しだけ知ってるひとの晩飯とか、そういうひととリプ送り合うでもなくときどきふぁぼり合って「あっお互い生きてるな」ってなるかんじとか、この世を憎んでる恋愛しないレズビアンが他にもいっぱいいるんだなあとか、積極的にLINEしようってかんじでもないけどツイートを見ると安心する地元の友だちとかとの、今のつながりがなくなるのはすごくさみしい。それに何より、ツイッターのbit_310というひと(それってツイッターをしている私とは一致しないわけ)が私かなり好きで、その子が消えてしまうとしたらかなしい。
まあbit_310の喪失はそうなるなら仕方ないとして、ひととの縁みたいなものはつなげたいものはつなげたいよねえ。noteも本当は早く個人サイトを作って移したいし。なんか決めたらまた書きます。

今日は文フリで、ずっと「文フリ、ほしい本、ある……行きたい……。人のいるとこに行く、怖い……行きたくない……。どうしよ〜〜〜」と悩み続けていたのだけど、とうとう行かなかった。通販のある本は通販で買おう。感染症対策でひとに会わなくなって長いせいでこんなに怖いのか、実際もともとひとと会うのにすごく向いてないひとがなんとなく無理してたのの本当が出てきたのかわからないな。よく知った人びとと突然映画に行くとかはいいんだけど、少し知ってるひととかのたくさんいる場所に行くとなると、この先いつ勇気が出るんだろう。自分のなかに、そういう場所に行ってなにも怖がらずひととにこやかに交流して欲しい本全部手に入れる、みたいなことへの憧れ、とくにひととにこやかに交流することへの憧れがすごくあって、完全に向いていないギャップがあれなんよな、と考えたりもします。快活になりてえ、そうでなければこの快活になりたいという感情を捨ててえ(ってずっと言ってる)。
持ち前の快活でなさにより、「何か返せる自分ではないのにうれしくしてもらって苦しい」と言うのを理由のひとつに感想をもらうのが苦手だったのだけど、「感想をもらうと苦しい」だとずっと思ってたから、「感想をもらうとうれしくなる。そのうれしくなるって感情の動きが怖い。そうしてもらうのに何も返せないのが苦しい。感想を送られたのは立派な虚像で、受け取った自分はじめじめした虫みたいだからしんどい」てのがあるよね、つまり感想自体はうれしい……て整理がついてきて、それを自覚する前よりは楽になった気がします。
それで楽になったことによって、好きな二次創作の感想を送るのを自分ももっと気楽にやりたいのだけど、やっぱりむつかしくてウワーとなったりもしている。(私のツイッターのサビには「働きたくない」「海が見たい」「恋愛伴侶規範が憎い」などに加えて「感想(と感想へのお返事)が書けなくてつらい」があります。)感想をもらえるとうれしいですって表明してくれてるひとについては「相手も自分のように苦しくなるひとだったら」とか考えなくてもいいわけだからね。がんばれ。残りの寿命の300年のうちにどうにかマシになりたいです。

だらだら書いてるけど、まだあんまり書き方を思い出せないな。
いろいろな場面で「(何かマイノリティの)当事者として書く」ということについて考える機会があって、なかなか自分にとっての解決が見つかりません。(その点では二次創作で自分の言葉で自分を救おう活動をしてるのは、思ってる以上にいろんな部分が救われてるんだろうな。)当事者として書いたとき、そう名乗ることがリスクになる社会で、誰がその責任をとってくれるんだろうみたいなこともずっと考えている。もっとなんでもありになってから生まれたかったよね。

友だちと通話してるとき、友だちが「早くちせに言わなきゃと思ってたことがあって」と言うので、ちょっと身構えてしまった。けど「最近たまにはまってて」だったのでうれしかった。「ちせとカラオケに行ってたころにはまればよかった」「またカラオケ行けるようになったら一緒に歌おう」とか話して、「好きな音楽のことを考えると、20年早く生まれればよかった」と言うので、でも友だちだけが20年早く生まれたりしなくてよかったなあと思う。