拒否をしてきた者への尊重の仕方

最近はclusterや他のメタバースがメディアに露出することがますます増えましたね。その度に世間の反応に一部の原住民は少しモヤモヤしているように見えます。恐らくモヤモヤの理由は世間が理解を示してくれない様な反応があるからでしょう。気持ちは解りますが、それは仕方がないことです。そして何故世間の反応が芳しくないのかというとズレが大きいからでしょう。

かつてメタバースにNFTを語る人達が突然やってきました。メタバース原住民の一部はそれに過敏に反応し、抵抗感を露にしました。今メディアの露出が増え、世間からの反応があまり寛容ではないのは正しくそれです。人は理解できない物には違和感を感じ、抵抗しようとします。これは人間が精神を落ち着かせるために必要な感情コントロールのセットと思って下さい。そして、拒絶反応の後に少し落ち着いてゆっくりと馴染んでいく。これが人間に用意された一つの流れというものです。ですので、この世間の反応も必然といえる事でしょう。

ですので、もし目の前で拒絶反応をされてもしょうがないと思って下さい。…恐らくここまでは大体の方はおおよそ同じ見解でしょう。ですが、それでは物足りないのです。最善の道はこれではないと俺は思っています。


まだまだ未熟な自分ですが…

もし目の前で拒絶反応をされてもしょうがない事ではありますが、優しく、優しく「驚かせてごめんなさい。でも、こういったものもあるんですよ。ごめんなさいね。」と言葉を添えて静かに去って下さい。拒絶する側からすれば意味不明な物を持っている者から「理解してほしい」という言動が受け入れられないと同時に「理解されなくてもいい」にあたる言動(言葉使い、ミュート、ブロック、即退出)も嫌なものなのです。何故なら「あなたは理解できない人なんですね…。」という諦めに見える行動は相手のプライドを傷つける行為になるからです。拒絶する者の言い分として、「意味不明な物を見せられて、ただでさえ理解の域に達していないのにミュート、ブロック、即退出されたら益々理解できない私が悪いみたいじゃないか!」となるのです。俺も含めたこういう人達は、自身の未熟さを突然再確認させられたくないのです。ですので、拒絶する相手に無理に理解を進める訳でもなく、されど理解されなくてもいいとならない様にすることも時には大事なのです。その果てに行き着いた「相容れることはなかった」「しょうがない」という言葉は、あくまで最終手段として使えばいいのです。

かつて俺も含めた一部のメタバース原住民が、NFTに拒絶反応をしたように、これからは我々がその拒絶反応をされる番なのでしょう。大衆化とはそういうものであり、その流れがないとメタバースの繁栄も現状は難しいものなのでしょう。そして、俺自身はメタバースという言葉は未だに慣れない。バーチャルという言葉の方がしっくりくるのです。しかし、それで良いのです。ですので俺の望みは

「相容れる物者も、相容れない物者も存在が許される世界を」メタバースに望みます。

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