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脳卒中になりまして

おひさしぶりです。皆様ご健勝でしょうか。僕は去年の年末ちょっと入院していました。
去年に入ってから色々とあり元々体調は良くはなかったのですが、まさかの脳卒中になってしまい一月程入院となりました。期間としては10月〜11月の間。幸い後遺症も比較的軽く順調に回復。退院してから無事仕事にも復帰し元の生活に戻りつつあります。

身体の麻痺症状は無くギターも入院期間中さわれなかったこともあり多少忘れた曲はありますが演奏自体は以前と変わりなく行えています。
後遺症としては失語症状があり(現在改善傾向です)、言葉が思い出せない事と、発症以前の言語記憶が一部飛んでしまっていました。
思い出せないこととしては例えば人の名前、好きなバンド、曲、地名、仕事で使う専門用語などです。
また、新しく名前を覚えるのに以前より時間がかかってしまいます。
なので今後お会いする時にまたお名前をお聞きする、又は何度か確認する場合があると思うのですが、この文章を読まれた方にはご理解頂けると幸いです。

今この文章は年に一度の墓掃除に行く為に家族が運転する車の後部座席に座って、iPhoneで書いています。
言いたい事はすぐに言葉にできるし、自分の書いている文章も読めるし、書いていて本当に自分の書いている文章が意味の通ったものになっているのか不安になることもありません。もちろん、墓掃除も問題なく出来ます。
発症直後は今出来ているそれらのことが全て出来なくなっていました。僕に何があったのか。今日はそれを書きたいと思います。

発症の前日、僕は休日でした。特にやることもないし映画でもと、那覇新都心の映画館へ「joker」を観に行きました。その後本屋で「ギターマガジン」を買い、家に帰って何かを飲みながらのんびりするつもりでした。
家に着いた頃からなんだか頭が痛くて、何をするのも集中するのが難しくなりました。本を読んでいても楽しめなかったので眠ることにしました。昨夜もなんだか頭痛があったのですが朝起きたら無くなっていたので寝たら良くなるだろうと思っていたのです。
この頃のことは記憶が曖昧になっているので断片を繋ぎ合わせるように書いていますが、恐らくこの様な流れだったと思います。

そして翌日目が覚めると昨日より頭痛がひどくなっていました。仕事場に電話を入れ、頭痛がするので今日はお休みをいただきたい、また経過を見て連絡をしますと伝えました。
起きているのも辛く、一日中ベッドで横になっていました。
気づくと夜になっていました。

比較的具合は良くなっていたので、夕飯を食べようと食卓に座りました。
何を食べたのか覚えていませんが、多分消化に良さそうなお茶漬けだった様に思います。そして飲み物はサッパリするペットボトルの炭酸水。
そこでふと気づきました。なんだかペットボトルのラベルの文字が読めないのです。文字は見えます、しかし内容が頭に入って来ないのです。他にも机に置いてある何かを読もうとしたのですが、何だか何を伝えたいのかピンときません。

家族に頼んで新聞を持ってきてもらいました。僕は驚いて声が出なくなりました。血の気が引いていくのを感じました。

一体何が書いてあるのか、まったく分からないのです。文字が一つも分からない。平仮名か、漢字かは分かります。でも形でそれを判断出来るだけ。見た事がある気がするだけ。言葉が分からなくなっている。
自分に何が起こっているのか、その言葉だけは頭の中でアラームの様に響いていました。

これは、脳卒中だ。

僕は急性期の病院で作業療法士としてリハビリの仕事をしています。相手にするのは(様々な疾患の方をみるのですが)主に急性発症した脳卒中の患者さん。手足が動かなくなったり、真っ直ぐ座れなくなったり、道具の使い方が分からなくなったり、片側の空間に起こっている事に気づけなくなったり、言葉を失ったり。

自分に起こっている事がそのうちの一つだとすぐに思い当たりました。まずは冷静になり一通り自分でできる検査を行い、取り敢えず言葉以外には症状は無さそうだと確認しました。そして頭の左側が痛かった事なども考え、病巣との一致を確認、脳卒中であると確信しました。

そのあとは自分の状況が間違いなく考えた通りであると、改めて絶望的な気持ちに包まれました。泣けるものなら泣きたかった、しかし泣いてもどうにもならないし、そんなことをしている場合ではない事も分かっていました。
一刻も早く治療が開始されなければならない。少しでも早く症状の進行を食い止めなければならない。家族に運転をお願いし、病院に向かいました。

病院でMRIをとると、左側の側頭葉に出血が確認できました。即入院、ICUに入室。

病衣に着替えベッドに横になり天井を見ながら俺はこれからどうなるのだろう、と考えました。脳の損傷は基本的に元には戻らない。脳の過疎性に期待しながら訓練を続け、残存した能力を活かした代償手段を身につけ、または手すりの設置など環境を整えて日常生活へ戻る。リハビリの仕事で何人もの患者さんに、その家族にそう話して来ました。

「俺はもう元の人生には戻れないかもしれない」

薄暗い病室の天井を見ながら、目を閉じました。とにかく眠たかった、でも明日が怖かった。


続く

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