あの時、5歳だった。あの時、20歳だった。
私の務める原田リハビリ整形外科は、広島原爆の爆心地から約7km。
この辺りは、原爆の爆風で家が傾いたり半壊状態になったが火災は免れた。
むしろ、直後に市内の知り合いを助けに行って入市被曝をされた方が多い。
あの時、5歳だった患者のLさんは、当時のことはあまり覚えてないという。
でも、昨日ポロッと言われた言葉が忘れられない。
「私が専門学校を出た20歳の時、同級生の42人中7人が原爆症で亡くなった。」
1960年。あの日から15年が過ぎてもなお同級生が7人に1人亡くなってしまう現実。もしかしたら、Lさんも「次は私かもしれない」と思いがよぎらなかったはずはない。そして共に学んだ友達のことを思わないはずがない。
Lさんは今年80才。
「身体がちょっと痛いくらいは我慢せんといけんね」
と、リハビリ室を後にされた。
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