てc

Days 3/6 Makoto OFUNE solo exhibition "VOID" with Bumpei KUNIMOTO

3日目が終わり、終演後アフタートークとレセプションが行われた。僕はレセプションだけ参加した。その時、劇場(應典院)の方と大舩真言さんで言葉を交わした。劇場としては、あまりに普通でない企画なので内部で渋る声もあったそうだ。絵画作品1点と人を作品として1点おいて、しかも6日間、毎日9時間やるなんて、誰もやったことがない。もうちょっと絵画の点数を増やしたりする方が、観客としては見易い。

でも、真言さんはこの企画の一点張りで「國本さんでないとこれは成り立たないから、やめる」と、そこまで言っていたらしい。

なんでだろう。ダンスは自分のやっていることが自分で客観視できない芸術である。自分で自分を別の場所から見ることは叶わないから、ダンサーは常にどこか「これでいいんだろうか」という不安があるし、だから基礎を身につけて、どんな状況でもかっこ良く見せれるように訓練する必要があるのだと思う。

僕も、真言さんに森山開次さんの次にコラボするダンサーとして選んで頂き、「本当に僕でいいのだろうか」と思う節はあった。

真言さんの奥さん(写真家)が最後に声をかけてくれた。

「文平さん。今回は本当にありがとう。文平さんは、病院でもワークショップでもずっと、ずっと人に寄り添う仕事をしてきたでしょう。なんか見ててそれを感じられるんです。いてるだけで寄り添ってくれてると言うか、委ねられると言うか。コンテンポラリーダンスの写真もたくさん撮ってきたけど、どれもつまらないものばかり。でも、見ててなんか毎回泣けてくる。そんなダンスができる人はいいへん」

僕は、もっと表面的な真言さんとの思考性の近さや感性的な響合いだけで今回一緒にやらせてもらえてると思ってた。

でも、違った。真言さん夫婦は、僕より僕のダンスの本質を見抜いてた。

美より先に、来てくれた人と心でつながれる舞台を目指してきたし、キレイよりもどちらかと言えば、ホッとするような感覚を持って帰って頂きたい。

ずっとずっと人と寄り添う仕事をしてきたし。患者さんや運動教室にきてくれた方々の顔が思い浮かぶ。皆さんに日々育てて頂いていたんだ。

そうだったんだ。

ありがとう。

分かった。


でも、今日またそれができるかな?

祈りよりも透明な、無心に溶けていく気持ち。

今日もひと呼吸から。

今日も一歩から。

画像1

(写真は、真言さんの奥さんの落書き)

______________________________________________________
2019 年 10 月 23 日(水)- 28 日(月)
午前 10 時 – 午後 7 時(入場無料) http://bit.do/fdSUe
浄土宗大蓮寺塔頭 應典院 おうてんいん
〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27
今年3月のポンピドゥセンターでの公演の後、日本では凱旋公演になります。大阪9hours × 6days どうなる!? 國本 文平をインスタレーションとして展示する!? 世界初の展示会の試みです。昨年日仏友好 160 年を祝して開催された「ジャポニスム 2018」の一環として、パリ フィルハーモニーホールで森山開次さんと踊った大舩真言のあの作品と共に。ぜひ体感しにきてください。
______________________________________________________
[ホームページより] http://bit.do/fdSUe
このたび、広く国内外で活躍する美術家大舩真言(おおふね まこと)氏の展覧会を大阪下寺町の應典院で開催します。日本画古来の和紙と岩絵具、時に素地に岩石も用い、岩絵具の持つ色彩の繊細な発色と粒子の物質感を自在に駆使する作風は、時間と共に印象が変化する重層的で奥深い鑑賞体験をもたらし、その作品は平面絵画というより、鑑賞者をあたかも一つの磁場に引き込むような、場そのものを立ち上がらせる空間芸術として、文化庁新進芸術家海外研修員に選ばれるなど、高い評価を得ています。
今まで美術館・ギャラリー以外にも京都の上賀茂・下鴨両神社、パリ聖メリー教会等の宗教的環境で、その場の精神性に喚起されたインスタレーションを行ってきましたが、今回の会場、應典院は、20 年にわたり「開かれた寺」を標榜して現代社会と仏教の接する最前線にあり、文化情報の発信および多彩な分野の人々の交流の場として知られています。
ある意味で生死を超えた長い時間軸を感じることのできる寺院での展覧会は、鑑賞者にはより深く内的な体験の機会となり、芸術専門施設以外の(オルタナティブな)場における空間と作品の有機的な相関を実感する好機となることと思われます。
二つのインスタレーションで構成される本展では、無の質感をテーマとした作品 VOID が本堂に、また呼応するロビーギャラリー(気づきの広場)では窓を一つの意識と捉えながら、外界と内面をつなぐ象徴として、人間の存在をインスタレーションに取り込む新たな試みにも挑戦します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?