思考排泄日記に送る言葉

毎日そこそこ楽しみに読んでいた日記が終わるらしい

まあ知り合いが日記をnoteにだすのをやめましたという話なんですが

知り合い(Twitterでフォローをしていますよ程度でもよい)の話をツイートだとかリツイートだとかで公にするのって自分としてはなんか気恥ずかしくてしづらいんですよね。電車の中で友達と大声で名前呼びながら喋っているみたいな恥ずかしさ。こいつ身内で盛り上がってるよみたいに思われそうに思っちゃうんですかね?まあこれは自分の感性の問題なので聞いたところでわからないんですけども

余計な自分の感性の話はこの辺にして本題に入ります
先程言ったようにけっこう楽しみにして読んでたんですよね、知り合い補正みたいなのを抜きにしてもけっこう好きで読んでいた。前書いたブリジットに関してのnoteだって瀬戸さんの文章を読んでいて自分もちょっと長文書きたくなったから書いた感じがある。恥ずかしいから全然宣伝とかしなかったけど
そんな日記が終わるということで、長文を書きたい気持ちもあるのでこのnoteを書きます。献花とかお供物とかそういうイメージで

じゃあまずどこが好きだったのか?
これは文章に滲む本人のセンスが好きだった、という所ですね

こういうとめちゃくちゃセンスがいい人の文でしたみたいだけど

とかいうと本人はセンスないですよみたいになっちゃうけど

作品についていいと言い切るのってそもそもの作品の良さ以外にも世間に受けそうな要素があるかが気になるのでそのへんで言えないところがあります

いちいち話が逸れていますが要は表現の仕方とか取り上げる内容が気に入っているだとか本人が見える気がしてくるというのをまとめてセンスを感じられて良いと言っているわけですね。
例えば、悩みってたぶんそんな1日じゃ解決しないものだろうからそういうところが繰り返し描写されてたりする。日記の反応として暗いとか言われていたりした気がするけどそれも良さというかどうしても避けられないものである気がする。就活を控える大学生が日記として内面を露わにしている時点でどうしたって暗い気持ちが現れてくるだろう。悩ましい時期なのだ
悩みのある中で日常の機微に触れ揺れ動く姿、またその中で題材を上げて何かについて語っている姿が文から浮かび上がってくるのがこの日記の面白さではないかと僕は思います。

瀬戸さんは日記の中で反応がないみたいなことをわりとよく嘆いているのですが、これについてはよくわかる気がします。
端から壁打ちのつもりで書いていたとしても何も返って来ないと不安が起こる。現実で向かい合って話す場合には多分相手は相槌だとか適当な頷きだかを返してくれるので良いのですが、ネット上に文章を投げる場合は聞く側に返す積極性がないと何も反応が得られません
何もない闇に語りかけているようなものですね。日頃クソつまんなくてみんなスマホ見てるような講義してる教授もこんな気持ちなのかな?
ネット上ではこうしてどうしても承認欲求が生まれる気がしますね。Twitterをコミュニケーションとして使っていと通知が一生0とかだと寂しいものがある。バズって知らんやつからFF外から失礼するゾ〜^とかお前有名人じゃんwとかやられるのも嫌ですけどね。一般人に丁度いい承認は15いいねくらいじゃないかな

感想も長文も苦手なものでどうしても思いついたツイートを連ねているだけみたいな文章になってしまいますね。ただ人の日記を見た感想とそれに連なる余計な話をするだけでも自分の表現力のなさだとか文章構成力の低さを実感する。面白いと思った部分を正確に伝えられていない気がするし、そもそも言い表せていない部分すらある気がする。
感化されて文章を書いてみるたびに毎日結構な長さの文を日記として流暢に書いていることをすごいと思います。

瀬戸さん本人がこの文を読めば、要領を得ない感想文のくせにわかった気になられているように感じて不快かもしれないし、そもそも瀬戸さんを知らん人が読んだら知らん人についてよくわからんことを言っているなになるかもしれない。とまあ誰も得をしなさそうな文章を書きましたが、これが僕の脳内の混沌から抜き取った一束です
これで瀬戸さんの日記がどんなもんか気になったとかそういうことがあれば自分もうれしいかなと思います。


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