なやみんzzz

人生上の個人的なお悩みなんてものはおおよそ人に言って解決することなどないだろう。

言えば楽になるよみたいな話もあるが、それは人に話すことで悩みが整理されはっきりすることだとか、対話者の同情といった思いやりを受けるだとかで気分が良くなるとかその程度の話だと思っている。悩みと問題は違い、悩みは自己が発端で自己でしか解決出来ない領域にあるからだ。
こう考えているので公に文で悩みを上げるのは気乗りしない気もするが、長文を書きたいのとせっかく考えてまとめたつもりのことだから上げたいのとどうせ誰も人のお悩みnoteなんて見ないから書き連ねてみる。

この前置きも保険かけてるみたいで普通にダサい

肝心のお悩みについて端的に言うと、
他者との関わりにおける自己中心性と表現力のなさ といったところだろうか。そもそも調べたことはないが自身がADHDとかの障害に近いところがあると思っているので、その症状であるところもあるのだろうがそれはそれとして自身の欠点として事情を述べていく。


日本語で自己中心というと配慮がないだとかわがままみたいな話になると思うが、ここで言っている自己中心性はそれらを含めた客観性の欠如について言っている。

人は自己中心的である人物になんと思い、たしなめるだろうか?おそらくは皆、人の嫌がることはやるな〜だとか相手を思いやれ〜だとか言うだろう。
しかし真に自己中心的人物にはそれは不可能なのではないかと思う。相手の立場を慮るつもりであろうがいつも世界の中心には自分がいて、それはどの立場に置こうが自分でしかない。22年生きてまともに教育を受けてはいるので会得した客観性はあるだろが、むしろ共感性のなさから必要性のないところで公平さを求める自分勝手なものになっている気もする。

例えば、複数人で雑談をしようとする。僕は基本話の中心であるはずはないのだが、自己中心性のために無限に口を挟む男になる。ダメなのはわかってるくせに自制が効かないのは、複数人での雑談という意識でなく、自分と複数人で話している、という認識になってしまうからだと思っている。


前に表現力のなさ、といったが自分の表現力の無さというのは語彙の乏しさといったものでなく文字通り思考を伝える力が無いということである。
こうして言い直すことを繰り返している時点で語彙の乏しさも明確ではあるが、それ以前に本当に人に何かを伝えることを苦手にしている。

まず人に聞こえるように話すことや文字を書くことが苦手である。少し吃り気味なのはしょうがないとしても、早口だったり文字が汚いことは結構意識してても言われるので、これも客観性の欠如によるものなのだろうか?

また声やら文やらが伝わったとしても、文章の構築能力に問題があると思っている。伝えるべきこととそれに至るまでの付属する事象について順序を正しく組み立てることが出来ず、話しているうちに何を伝えたかったかが失われてしまう。本やプリントにまみれた私の机の様に脳内は整頓がなされておらず、何かを引っ張り出せば他のものがついてきて肝心なことは破れてしまう。果たしてこの文章も最初に考えたことを伝えているのだろうか?

散々お悩みだなんだと言って書き連ねては来たが実際のところは深刻なものでは決してない。飼っている魚のいる水槽を叩いて反応を楽しんでいるようなものだ。独りよがりであっても何か他者と関わりを持つことを楽しんでいる。ただたまには囚われた魚の不憫さに思いを馳せることもある。すみません自分勝手なコミュニケーションに付き合ってもらっててって感じ。


僕は皆が認識している世界というものについて、誰もが違う視点の世界を持っており、その被膜を通して世界を共有していると思っている。自己中心性だとかで僕の世界を覆う被膜は厚くなり余計に歪んで見えているかもしれないが、皆大なり小なり歪んだ物を見て社会を形成している。だから人を選べばダメダメちゃんでも案外気に入って見てくれる人もいると思うんだ。人生ガンバろ!声出してこ!エイエイオー‼️‼️

おわり



P.S.
この悩みから明るいオチに行こうと思うとスーパー自分勝手な感じに終わる気がしたから自分の世界観を踏まえてオチつけようと思ったけどよく分からなくなりました。
ズレた人間が比喩とか世界観を説くとよく分からかい事になります。気をつけましょう。

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