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自己矛盾☆雑感みっつ(・この作品は作者のお気持ち表明なのか・クッキー☆厨以外への魅力・「クッキー☆厨の八雲紫」)

無いとは思いますが、見てないのに何故かこの記事を覗いているならまず本編を見てください。

TLで「このボイスドラマを見て何も言うことがないような人って(界隈の中には)いないんじゃないか」と言っている人がいましたが、ボイドラと思えないくらい本当に沢山感想が出てますよね。語りたくなる何かがこの作品にはあります。

この記事は、感想を見てきて気になった話題の雑感です。乱文。長い。

この作品は作者のお気持ち表明なのか

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本作を、作者のいわゆる「お気持ち表明」と捉えている方がそれなりにいるみたいです。本作の象徴的なラストシーンは、お気持ち表明をカリカチュア的に描いたものなのでそう受け取りやすいのかもしれません。あれこそ作者の作品を通した主張なのではないかっていう考え方ですね。

個人的には違うと思います。

「お前に作者の気持ちの何が分かるんだよ」って話なんですけど、作者の方は創作に対するスタンスを過去述べてきている人なので、ダラダラ説明するよりも理解の一端となる動画シリーズをひとつ貼っておきます(必ずしも見る必要は無い)。

要は、あれはあくまでエンタメ作品の登場人物たる主人公の主張であって(心理の一端として自身が持っている部分を登場人物に授けたということはあるかもしれませんが)、必ずしも作品の核たる主張ではないってことです。

「あの主張に共感できないから作品を評価しない」みたいな趣旨の感想をみるとさすがに勿体ないと思ってしまいます。
最後のシーンは、演出としてはそこへと収斂していく重要な場面ですが、ことメッセージ性という部分に関して言えばもっと色々な場面に散りばめられているように思います。

まぁ作品からどういうメッセージを受け取るかなんて各々の自由なので好き勝手に受け取ればいいんですけど。(台無し)

でも少なくとも、二次創作者の筆を折らせるのは作者の意図するところではないと思います。
例えば、不明さんは最近アークナイツの普通のファンアートを描いてましたよ。

クッキー☆厨以外への魅力

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「作品テーマは表現全般に当てはまるから魅力には普遍性がある」という考え方と、「クッキー☆に何の思い入れもない人には刺さらない」という考え方がやや対立的に存在するみたいです。

個人的にはこの考え方は必ずしも相反しないように思います。

本作の特徴として、実在の人物・作品・出来事を意図的に匂わせる、あるいは直接分かるように下敷き・引用していることが挙げられます。

普通にやるとそれらすべてを理解していないと鑑賞に耐えないという散々な出来になるはずなのですが、巧みな構成によりそうなってはいません。優れたアートワークと演出も合わせ、クッキー☆に対する理解が深くなくても楽しめるようになっています。

ですが、特定の視聴者層には、それら人物・作品・出来事が作品世界への没入を誘引する要素として働きます。登場人物が歩む世界にそれらを見つけるたびに、自分が歩んでいた世界に重ねて感じられるわけです。

これが最も効果的に働く場面はラストシーンです。

お気持ち表明には、ストーリーが必要です。その人はもともとどういう考えを持っていたか、どのように活動してきたか、どのようなことをきっかけにお気持ちに至ったのか、そういう背景が見えないお気持ち表明はただただ滑稽です。
ですが本作においては、そのストーリーが、特に特定の視聴者層においては強烈に支えられます。主人公の歩む創作人生のその世界が、自分が立っている(立っていた)世界と地続きと感じるわけですから。

作者の力量からすれば、もっと実在の要素を削ぎ落とすように構成することもできたように思います。しかし敢えて本作のようにしているのは、特定層への視聴感の最大化を狙っているからのように感じます。

そんなわけで本作は、テーマ自体に普遍性があり広く楽しめるようになっているけれど、作品のつくりとして特に特定の視聴者層に刺さるようになっている、というのが個人的な捉え方です。

何故これだけ心血を注いだ作品を、限られた視聴者に対して特殊に最大化したのか。
明日まで考えといてください。 そしたら何かが見えてくるはずです。

「クッキー☆厨の八雲紫」

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他のキャラクターはすべてアバターなわけですけれど、紫はあの八雲紫なんですよね。

ナビゲーターとして紫の能力が便利であるとか、純然たる東方ボイスドラマの『初代』へのリスペクト要素とかもあるとは思いますが、それだけなら必ずしも紫である必要ではないわけで、何か意味を見出したくなります。

自分は、作品世界が幻想郷の構造と類似しているので、幻想郷管理人たる紫をキャストしたのかなと考えました。
一応、東方をまったく知らない人向けに説明すると、幻想郷は常識と非常識を別つ大結界で外の世界と隔てられているという設定があります。

また、東方界隈では幻想郷が「同人」のメタファーであるという解釈が存在するみたいです。対置される外の世界は「商業」ですね。
これは奇しくも表現のフィールドの話であり、「オリジナル創作」と「二次創作」、「一般創作」と「クッキー☆」という対置で作品世界が隔てられていることとそのまま重なります。

本当のところはわかりませんが、あの立ち位置が八雲紫なのは凄く嵌っているように感じます。将来コメンタリーがあるのであれば、是非聞いてみたい点のひとつです。

ちなみに、作品世界を幻想郷と重ねた場合、ラストシーンは幻想郷に異を唱える霊夢とそれを助ける紫となり、東方の設定と真逆になります。「私は霊夢だ!」っていうのと合わせてそれについても色々考えたんですが、推測に妄想を重ねても仕方ないので止め。

最後に

コメンタリーやってください。
コメンタリーやってください。
コメンタリーやってください。

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