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小学生の親になりましたが

2022年は涙が出るほど辛かった。

何回生きづらいと思ったことか(笑)
不安と空虚な感情に塗りつぶされて。

よくやったぜ、自分!
と自分で褒めてあげたい。

家族。こんな不甲斐ない私をそっと見守ってくれてありがとう。
きっと理不尽なことで怒ったりしていたはず。深〜くお詫びしたい。

しつこいが、本当に今までになく自分自身と向き合って、自分自身に苛まれて、何度心が折れたことか。

なんとか次の朝を迎えることができたけれど、終わりのない絶望感と疲労の日々。
仕事ができてないことばかりが頭をよぎり、眠れない、眠れない。

眠れない身体を引きずって、子ども達の世話に奔走して、仕事して、ご飯食べて寝る。

自分の時間は な・い

仕事と親業の副業感覚。

つらい、仕事辞めたい、楽したい。

だけど、なんとなく家計が不安だし、仕事してる自分がスキでもある、何かに属していたい欲求がわたしに二の足を踏ませている。


2023年の4分の1が、過ぎた頃。
ようやく、そんな暗黒世界の状況から少し落ち着いてきたように感じられるようになった。

そして、
1番上の子どもが小学生になった。

小学生の親デビューだ。
世に聞くなんちゃらの壁というものがあると聞いたが、キッズクラブに無事入室することができ、いまのところ特に何もない。

先々の事を前もって知り、準備しておきたくなるが、なんとでもなるという感覚を持つことも大切だと感じる。

私自身がこうあるべきという理想にとらわれてしまうから。

習い事をさせるべき?
将来のために何かできることは?
考えたいけれど、私にはそのパワーがない

そうやって、次は
あれもできてない、これもできてないと
不甲斐なさで自分を責めるのだ。

危ない危ない。

ランドセルを背負う我が子を見て、
はじめて腕に抱いた時の小さなあの子がこんなにおおきくなったのだと思う。

だけど、ランドセルが重くてよたよたしている。

まだたった7年。
だけど、7年、ここまで無事大きな病気も怪我もなく育ってくれた。

学校という社会との繋がりが、温かいものであってほしい。

だけど、もしそうじゃなかったら、ほかの場所もあるんだよ、と示してあげれたらいいなと思う。

いってきます
いってらっしゃい、きをつけて。

今は1日、1日がちゃんと違って見える。

子どもにとっても、親にとっても
慣れないことだから不安はあるけれど。

入学式は1名しか出席が許されず、夫が参加した。お父さんが入学式に出られること。確実に自分たちの子供の頃とは違ってる。

だけど、まだ根強く残る、
「お母さん」への期待?のようなもの。
言葉の端を捉えても仕方ないけれど。
寛容ではない私は、いちいち気に触ること。

学校側での問いかけの言葉に「お母さん」が出てくること。

「保護者」「おうちのひと」とかでよくないですか?とそんな言葉を聞くたびに突っ込んでしまうのは、私だけかな。

おばあちゃんとかおじいちゃんが育ててるケースとか、お父さんがその場に来ていることをまるっと無視するような声掛け。。。

私の子供時代は、そんなことを疑問にすら思わなかったけれど。

世の中は変わっていく。自分たちの価値観も変わってきた。今の10代の価値観と私の価値観もずいぶん違うのだろう。

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