今までの人生で最も死にたくなった時の話



【過去は変えれないけど捉え方は変えられる】


この時期、高校の部活で県大会のニュースがテレビなどでもよく報じられます。

高校生にとってはかけがえのない素晴らしい瞬間だと思います。



約16年前のことです。


僕は高校で野球部に所属していました。


県内では強豪で僕はメンバー外でしたが夏は甲子園にも出場しました。


多くの部活が全国大会を目指してやりますが、この時期の県大会は野球部にとってはそれほど重要ではありません。

本番は夏の甲子園をかけた7月からある選手権大会です。

なのでこの時期の県大会の位置付けとしては夏のメンバーに入れないようなやつが記念としてメンバーに選ばれるというような感じでした。(今はどうなってるのか分かりません)


練習などでも大体分かっていて、予想通り僕もこの県大会に選ばれました。


実はこの時、小3から野球を始めて約10年の野球人生の中でずっとへぼかったバッティングが絶好調でした。(タイミングの取り方を変えただけなのですが)

どれだけ調子が良かったか言わせてください


もう引退してしまいましたが1つ下にプロ野球に行った投手がいます。
その子から練習のシートバッティングでファールになりましたがあと2メートル右上だったらホームランになった打球を打ちました。(結果はセンター前ヒット)


当時の僕を知っている人なら調子の良さを分かってくれると思います。笑

キャプテンからも練習で「なんかパワーついたね」と言われたのを覚えています。嬉しかったです。笑



そんな最高の状態で県大会に選ばれました。



1回戦を勝ち2回戦目、

ある高校と対戦しました。

そしてこの試合には春先ぐらいに別れた元カノが観戦に来ていました。
ちなみに中学の時の元カノもいました、、

別れた理由なのですが
「元カレがやっぱり忘れられない」でした。


そして


なんと相手ピッチャーがその元カレだったのです


僕はベンチスタートで試合は順当に進み、6点差ほどになっていた時です

監督から「山添、バット振っとけ」

これは代打として出場することを意味します。

もう感じ取ってくれてる方もいるかもしれませんが、この時の僕はかつてない闘志で準備を進めました。


元カレを忘れられないと言われ振られた元カノが後ろの観客席にいて、マウンドには因縁の元カレ(相手は僕のこと全く知りません)がいるという状況。


普段試合に出ない僕にこんな奇跡あるのかよと思いました。


信じられないと思いますがガチの実話です。



そして出番がやってきました


マウンドにはその元カレが立っています



舞台は整った




武者震い


ベンチからグランドに出た僕は今でも忘れられない感覚でした


県大会は半強制的に他の部活の試合応援に行くというのもあってサッカー部なども来ていて比較的観客が多かったのです。


スタンドから普段出ない僕をイジってくれたり盛り上がってくれていました。



絶対に打てる



そう思いながら打席に向かいました。

代打で出場するにあたっての心構えがあります

【初球のストライクは振りに行く】


絶対にストライクは打つと決めてバッターボックスに入りました


奇跡的なシチュエーションにも関わらず緊張は全くなく、心は激しく燃えていましたが体は冷静でした。



そして初球



球はストライクゾーンに






コンっ






弱々しく乾いた音とともに打球が打ち上げられました。




ファーストファールフライ




野球知らない人にも分かるように伝えるなら


最もダサい結果でした。


三振なら潔く完敗だし
外野フライならひと盛り上がりするし
内野ゴロならヘッドスライディングと

それなりの結末がある中でファーストファールフライ


ファールフライは走っても意味がないのでただただ打席から打球を見つめるしかありません


球場は気まずさをまとったどえらい雰囲気になってました



この時が今までの人生で最も死にたくなった時です。



人前でこれほどの辱めを受けることがあるでしょうか


そこからの試合は記憶がないです。


若干18歳の高校生には耐えがたい現実だったと思います。


今これを書いていてもあの瞬間を思い出してちょっと苦しいです。笑



それから僕はあまり高校野球を心から楽しんで見れていませんでした。



時が経って20歳頃


合コンがありました。


そこで面白い話をし合うということがありました。(よくあるノリのやつです)


そこで僕は思い切って県大会のことを話しました。


野球好きな子がいたこともあって僭越ながらウケました。笑


その時、スッと自分の中での辛かった思い出が報われた気がしました


そこからは水を得た魚のように機会があればこの話をするようになりました。笑


なんでこんなに笑ってもらえたのか考えると


あの時の僕は全力だったからだと思います

全力で挑んだこその結果であって、どうせ夏はメンバーに入れないしと不貞腐れて適当にやっていれば伝わり方は全然違ったと思います。


同級生との会話でも盛り上がるのはいつになっても失敗談です。

県大会のことも今では良い思い出になりました

目を背けたくなるような過去でもこれからの行いで捉え方は変えられるということを身をもって知りました。



映画化お願いします。

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