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代々木ホコ天の始まりと存続の危機


変わりゆく原宿 昔を思い出しながら
   ノンフェクション

ティーランド前から
代々木ホコ天へ移動してからの何回目かの日曜日
一番最初にホコ天の車道についた
この広い歩行者天国の車道に
今は 美麗だけが立っている
見渡す限り広く 
私たちだけが
踊っていると思うと
いつも胸が高鳴った
下の(キティーランド前)とは大違い
私は 原宿のホコ天のことを
代々木側を上 表参道側を下と呼んでいた

私たちが代々木で踊り始めた頃は
本当に人が いなかった
でも 踊ることが目的だったので
そんな事は 気にしていなかったし
これからが 本格的な始動になるのだろう思っていた
私たちの当初のグループは 
ティーランド前からの4〜5人しかいなかった

原宿ロックンローラー
まずは オリジナルの握手から始まり
これが 挨拶となる
(おはよう こんにちは またね バイバイ)
名前も実名ではなく
ロックンローラーの名前
リッチー バニー バンビ ベティ
と言ったローラー名をそれぞれが名乗っていた

この頃は 日曜日だけが歩行者天国
私は 毎週日曜日が待ちどうしかった
青空の下でとにかく踊ることが楽しくて
一緒に踊っている中では
私がいちばん年下で
このグループには リーダーはいなかった
ただ ここで会いホコ天の時間だけ一緒に踊るだけ
でも なぜかみんな時間になると集まっていた
そんな関係なのだから
個々の諸事情が生じれば
ここを離れていくことは
やむを得ない事だとは分かっていた

最初に辞めたのは
男女のカップル リッチーと彼女
残ったのは 私を入れて2〜3人だったかな?

「原宿のロックンローラーは 
去る者追わず 来る者拒まず」

原宿の路上でロックンロールを踊る楽しさを教えてくれた
最初の仲間
この時の別れが 
私にこの言葉
去って行く者を追ってもしょうがない
いつでも遊ぶに来てくれと気持ち良く別れを告げ送り出す事が
何故か原宿のロックンローラーとして
カッコイイことなのだと思わせた

今まで日本の路上で踊る
ましてロックンロールを踊るローラーなどいるはずもなかった
それを原宿代々木のホコ天に始めて作ったのが私たちなのだから
今後どうなるかは何もかもを手探りで進めて行くしかなかった

正直 この時点では
また 誰かやめる事があれば
どうなるんだろうと不安はあったかな

人からみれば
たかが路上で
変な格好をして踊っているだけにしか見えなかったかもしれないが

当時の私は 他の何よりも
この事が一大事だった

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次回
・・・更なる危機・・・
Coming Soon

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