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智能化戦争の戦場としてのメタバース

メタバースの世界はもっと加速していくと予測されていますが、すばらしい未来ばかりではありません。

メタバースは智能化戦争の戦場

この変化に乗じて覇権をしよう、強めようとしている勢力がいます。
「智能化戦争」は、本来AIと無人機システム(ロボット、無人飛行機、無人水上・水中船など)の合体した軍事革命をして戦争することをいいます。中国・人民解放軍が進めている「軍民融合発展戦略」という国家戦略で、特に心理戦においてメタバースは大きな役割を担うと思われます。

バイドゥ、アリババ、テンセントなど中国の巨大IT企業は、ビッグデータを駆使してAIの能力を高め、多くの分野(機械学習、言語処理、視覚認識、音声認識など)で長足の進歩を実現している。 
こうした民間のAI技術を軍事転用し、「AIによる軍事革命」を実現しようとしている


詳細は、下に紹介する「ぼくらの国会」の動画で触れています。
個人としてできることは少ないかもしれません。
しかし何が起きているかを知っておくことが重要だと思います。
そして最後に守るのは個人のこころもちだと思います。

脳に入り欲望を作り出す
中国のゴールはぼくらの脳の中に入り込み、欲望を作り出すこと。新しい需要が先進国で生まれないので新しい欲望をつくって(資本主義ももともと欲望を作るということはあるが)それをIoTやAIやネットやその他の心理作戦、人民解放軍が掲げる世論戦、心理戦、法律戦のうち特にこの心理戦をつかって脳の中に入り、中国寄りの需要をつくる。

智能化戦争で人間の頭の中を支配
同時に地球の統一ルール、機材の様式、貿易のルールなども含めてルールメーカーになるのが一番有利になるわけですけど智能化戦争の目的は中国がルールもつくる。中国製であることがわからないようにこの智能化戦争で人間の頭の中を支配していくというのが、中国人民解放軍の最終目的ということが最近わかってきた。

メタバースは智能化戦争の戦場
メタバースではARやVRという技術をつかって、アバターが動く。要注意なのは本当の自分を否定することにもつながりかねないリスクがあるけど、これはいい悪いではなく絶対止まらないです。メタバースの面白さはどんどん広まるからフェイスブックは利益なくてもどんどんすすめている。メタバースは智能化戦争の戦場です。

欲望にのみこまれる現実
つまり、そこで欲望を作り出して、そこでもはもう「延々と議論する民主主義」とか、「違う意見を許容する民主主義」とかそういうものはあらかじめ姿を消して(排除されて)いて、「欲望中心主義」の世界になっている。自分の欲望を、なりたいものになれるアバターを通じてなり、住みたい街で勝手に暮らせる。
現実とは遊離してそこで世界を作られるというのは、中国の狙いであって、そこに本当の独裁主義(Dictatorship)があらわれる、ということをよく考えるべきことである。

地球人、全中国人化
今なぜこのタイミングでこの話をするかというと、脳の一番大事な部分である”私は何のために働き、何を欲するのか”という(哲学的なところ)が中国共産党の思うようになっていく。
現在、ウクライナで危機がひろがっているが「戦争どんどんやってください」と中国はウォッチして情報を集めている。そしてその間に中国は電脳空間を全部いただき、智能化戦争で支配していくという野望をいだいている。

しかしそれは中国の技術だけではできないので、各国の経済安全保障の連携が本当に大事になっている。

【ぼくらの国会・第286回】ニュースの尻尾「中国兵は脳の中に入り込む」
2022/02/18


欲望を掻き立てる現代のアヘン⁉

この動画をみて思ったのは、欲望の恐ろしさです。
そして人間が本来もつ尊厳が破壊されてしまうのではないかという危惧です。
安易に満たされた欲望は、抜け出せないように巧妙に仕掛けられいきます。そして徐々にまるで薬物のようにむしばまれ支配される危険性があります。

アヘン依存で敗れた清の後継国である中国が、この心理戦をしかけているのは偶然ではないかもしれません。
アヘンの危険性とメタバースでの危険性をリンクさせる記述をみつけたので紹介します。

薬物使用の感覚を想像するときに、僕の中では「これに似ているのかな」という感覚があるんです。
 それが、ゲームをしたときに“チート”を使っちゃうことなのかなと。アクションゲームとかで、チートモードってあるんですよ。裏技的にプレイヤーがめちゃくちゃ有利な設定で遊べるようにできる。でも、それを1回やってしまうと、普通にプレーするのが退屈になってしまうんです。普通では満足できなくなって、チートを使わないとつまらないなとなってしまう。薬物使用ってそれに似ている感じがしていて。

日本は尊厳を護れるのか

すべて自由で欲望が満たされる世界で、人間はどうなってしまうのでしょうか。
いろいろ意見があるとは思いますが、そもそも人間は、肉体的制約という不自由さを体験するために、人間としてこの世に生まれてきたのではなかったのかとさえ自分は思っています。
明治のころの日本人は危機感をもって接することができましたが、現在の日本において、もっと巧妙に仕掛けられていたとしたらどうでしょう。
本当に憂慮すべき問題で、規制すればいいという問題でもなく、人間が本来もつ知恵を今こそ発揮していかないといけないと思います。



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