人生は、「赤信号」を楽しめるかどうか。
もし、「一生赤信号に捕まらない券」が売っていたら、そこそこのお金を払ってでも欲しい人は多いんじゃないでしょうか?値段によるが、僕は買いたい。
2019年、僕はこんなツイートをしていた。
僕は当時、練習場から車で30分離れたデイサービスで働いていて、そこまでの道には信号が多く、よく赤で止まらされていた。
昼ごはんは職場で食べていたので早くいかなくてはならないプラス、とてもお腹が減っていたのもあり、赤になるたびに、早く青になれとイライラし、信号とにらめっこしていた。
しかしある時、自分ではどうしようもないことで苛ついているのが惨めに思えてきたので、この止まっている間に何かできないかを考えるようになった。
送迎の確認や、準備しておくこと、利用者さんを楽しませれるような話題はないか探したりと、意外とやれることが多いのに気づいた。
そして、赤信号が必要とさえ思えるようになった。
赤信号で止まることは、あまり喜ばしいことではない。なぜなら、目的地に向かっているのだから、早く着いた方がいいに決まっている。
しかしこのように、歓迎していないことをなんとも思わない、むしろ楽しめるかどうかは、かなり大事なマインドなのではないか。
自分の前に急に車線変更してきた車のせいで、渡れたはずが赤になってしまったり、赤になっているのにも関わらず無理やりいく車もある。
俺は止まったのにお前が行くのおかしいだろと突っ込んだ経験は誰しもあるはず。
でも後になると、その車も次の信号で止まっていたり、結局自分の方が先に進めていたりすることもある。
要するに、急いだところで結果はあんまり変わらない。だったらルールをしっかり守り、その待ち時間を楽しんだほうが得なのだ。
久しぶりにお母さんにLINEするもよし。赤は有効に活用できる。
人生も、できることなら青信号で進み続けたい。しかし、人生における赤信号は必ずある。危険運転したり、信号無視で捕まってしまっては逆に遠回り。赤を楽しみ、走り続けた者だけ、目的地に辿り着くことができるのではないかと思ったのでした。
安全運転で行きましょう。
読んでいただきありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?