リンゴジャーニー Vol. 2〜いざ出発
旅は道連れ
ネットを駆使して旅の下調べなる情報収集をしたわけだが、諸説あって思いの外おもしろい旅になりそうだ。一人旅も嫌いじゃないが音楽ファンの友達も誘ってみようか。パレードのようになったら最高じゃないか!
2023年10月13日〜興味の方向に磁石は効かない
ここ阿佐ヶ谷にある『cafein』は、ハウスやワールド、テクノなど幅広いジャンルのDJが毎晩パーティーを繰り広げるクラブである。この日は筆者も一度DJで呼んでいただいたロック系のパーティー"Stolen Beat"の日だ。主宰DJの1人であるDさんはとりわけスカに詳しい。もしかしたら、この旅の目的地に一足飛びで到着してしまうかもしれない。それはそれで、ちと肩透かしかな、なんて思うのも人間の性か。
Dさんを見つけるや否や、旅のお誘い。「Dさん、リンゴ追分ってどうやってジャマイカまで渡ったんですかねぇ」「それさ、ずっと謎だよね」「そうなんですよねぇ、ネットで調べると諸説でてくるんですけど、決め手に欠ける情報ばかりで…」「でも、どうしてリンゴ追分なの?」「ずっと前にGazがパレスでかけていたのを初めて聴いて知って…」と例のRingo初体験ストーリーを。個人的には衝撃だったとはいえ、他愛のないストーリーである。だってDさんにとって、The SkatalitesのRingoはもう体に染み付くほど聴いているだろうし、ちゃんと7インチEPだって持っていて"Stolen Beat"でもプレイしているお馴染みの曲なんだから。
「えっ、それでこんなに調べてるの!?」
と、意外な好リアクション!何がきっかけで興味を持ったり熱をあげたりするかなんて予測不能。これまた個人的なことだが、昔に衝撃を受けた曲の、ずっと探していたレコードをプレゼントでいただき、運の良いことにRockばかりの自分に今はSkaのコアファンの友人がいるのだ。熱を上げるには十分すぎる環境だったと思う。予想通りにDさんからネットでは見つけられなった情報が。
2023年10月13日続〜旅の第一歩
「ハワイのミュージシャンがリンゴ追分をカヴァーしてたと思うんだよ」
「細野晴臣さんが影響を受けた音楽として紹介していたよ」
なんすかその情報!!
Dさんの一言でリンゴジャーニーの大きな第一歩をフルスロットルで踏み出すことになった。そう、それがハワイのアーティスト『Arthur Lyman』によるカヴァー『Ringo Oiwake』だ。
もう頭は真っ白で、ここが音楽がガンガンに流れているクラブであることもすっ飛ばしてスマホを直接耳に当てて聞いてみたArthur Lyman。エキゾチックなサウンドにアレンジされたRingo Oiwakeなれど、オリジナルの印象的なメロディーがリスペクトされたインスト曲に生まれ変わっている。
「おー!リンゴ追分が海を渡ったぞ」
ハワイ経由のジャマイカ行き!一気に近づいたんじゃないか!?この日は興奮のあまり以後の記憶がない。
2023年10月18日〜旅は丸の内線で
日本からジャマイカへの接点は仮説にしても無理があると思っていたが、ハワイのアーティストによるカヴァーが浮かび上がったおかげで、ハワイ・北米を経由したという経路がぼんやりと見えてきた。が、そこで大事なことを思いつく。そう、日本からハワイへはどんな経路だったのか?基礎知識として、当時ハワイには日本からの移民がたくさん居たことは知っていた。ただそんなに活発にハワイと日本を行き来できていたとは考えにくい。ということは…?ここで1950年台に音楽が海を渡る方法として考えられる仮説を立ててみた。
仮説
・楽譜?
・ラジオ?
・レコード?
・レコードが海を渡るということは人の動き?
だいたいこのどれかなんじゃないかなぁ。ということで、まず楽譜の可能性はどうだろうか。
まずは楽譜について
音楽的素養ゼロの筆者が脳みそ超フル回転で絞り出した楽譜に関する知識では、楽譜ってクラシックのミュージシャンが使うものでエキゾチカのアーティストが使っていたとは思えないなぁ、ということ。ムリやりすぎるが、とにかく仮説の取捨をするために、とりあえず楽譜を候補から外そうという魂胆。というか、本当に情報がなかった。
次にラジオについて
検索ワード:ラジオ 1950年台 日本 ハワイ
検索結果:ハワイコールズ!!
これはすごい有力情報を見つけた!
1935年から1975年の放送ということなので、Arthur Lyman/Ringo Oiwakeリリース1958年とThe Skatalites/Ringoリリース1964年の間に放送されている!では、ハワイ・コールズがジャマイカで受信されていたかどうかである。
ハワイ・コールズ、北米で受信!
当時のジャマイカではラジオが比較的高く普及しており、しかもニューオリンズあたりのラジオをジャマイカで受信することがあったそうだ!これは友人Aさんに教えてもらったSka好きの間では一般的な知識なんだそうだが、ハワイからジャマイカにつながった!!
余談だが、この日の朝、筆者がラッシュ時の丸の内線に乗り込もうとしていた時、トントンと肩を叩かれた。なんだ?と振り返るとクラブcafein友達のKさん。Kさんにもすでにリンゴジャーニーについては話してあったこともあり、朝からマシンガントークで盛り上がる。それに感化されて昼休みに見つけた情報がこのハワイ・コールズ。さて、ラジオではハワイと北米、もしかしたらジャマイカにも電波が繋がったわけだが、ラジオで音楽を放送するにはレコードが欠かせない。ハワイのミュージシャンArthur Lymanのレコードが北米でもリリースされていたのだろうか?
次はレコードについて
これは簡単、購買としても調べ物としてもお世話になっているDiscogs。
Arthur LymanのRingo Oiwakeが収録されているアルバム『Taboo』実に多くの国でリリースされていました。ハワイ州のインディーズレーベルからのリリースではなく、
ハリウッドにあるレコードレーベルだということがわかりました!当時のエキゾチカについて調べてみると、新しい音楽を追求し続けている北米レコードレーベルでは、ハワイで人気だったエキゾチカサウンドの心地良さと新しさに目をつけて次第に北米でもエキゾチカ人気に火がついた、ということだった。ハワイ・コールズでは生演奏も放送していたと書かれているので、Arthur Lymanのライブが波の音と共に電波に乗って北米へ渡り、そこでレコードとなったと考えるのがシンプルかと思う。
ここで疑問が、本当にArthur Lymanはハワイ・コールズの放送でRingo Oiwakeを演奏したのかどうか、である。1957年からハワイ・コールズのベスト盤的なオムニバスが数種類リリースされていることが分かった。しかし、残念ながらその中にRingo OiwakeどころかArthur Lymanの名前すらも見つけられなかった。殿堂入りで入らなかったのか?と都合の良いように捉えておこう。とにかく「盤」になったのでハワイから離れた場所でもラジオDJがさらに別の場所へ電波へ通して発信することは可能となったのである。ということで、Aさんから教えていただいた経路、ニューオリンズのラジオがでジャマイカへ受信された可能性が高まりました!
ここまでをまとめると、
1952年日本でリリースされた美空ひばりさんのリンゴ追分、なんらかの形でハワイへ渡る。そのハワイのアーティストArthur LymanさんがRingo Oiwakeというタイトルでカヴァー。ハワイ・コールズの電波に乗って北米でもArthur Lyman/Ringo Oiwakeの人気爆発。北米のレコードレーベルHiFi Recordsより1958年リリース。ニューオリンズ辺りのラジオまたはハワイ・コールズの電波に乗ったArthur Lyman/Ringo Oiwakeをジャマイカで受信。1964年The Skatalites/Ringoがリリース。
ということになるが、「日本からハワイ」がまだ謎。次回からは、リンゴ追分の日本からの躍進に迫ります🍎
おまけ