双極性障害と診断された私(1)

それはある年の2月のことでした。

その前の年の11月、私はあるコールセンターにて夜勤の仕事を始めました。今考えるととても無謀なことでしたが…
なぜ夜勤にしたかというと、私には要介護1の少し面倒を見てやらないといけない母親と同居していたので、昼間は母親のために家にいてあげた方がいいと考えていたからです。
父ももちろん手伝ってくれたのですが、、、なんというか、、、母の行動一つ一つにチェックを入れては注意する人で母はいつも息が詰まっていて、私が相手してあげる時間を増やそうと思っていたのです。

仕事は夜勤と言うこともあって、睡眠リズムが狂ったり、ややストレスがたまることもありましたが、それでもまあ無事にこなしていたつもりです。

そして、、、2月某日。その時が来ました

私に父は突然「もうお母さんには○○しなくていい!」と、いつものように出勤準備を整え、いざ出勤しようとした私に怒鳴ってきたのです。

それは私に対する叱責などではありませんでした。もしかしたら私への気遣いだったのかもしれません。ただ、私に怒鳴った、その事実だけなのです。

その瞬間から、私の体はぴくりとも動かなくなりました。

私に叱責したことではないのは分かっています。しかし、その声が私の体を凍り付かせたのです。

そんな私の状態でわざわざ90分かかる会社にたどり着けるわけがありませんので、力を振り絞って会社に欠勤の旨を伝えました。

その翌日はかろうじて出勤しました。本当にかろうじて。
しかし、またその翌日も(これはきっかけは忘れましたが)体が固まり、会社に到底行くことができなくなってしまったのです。

父にはなぜ私が会社に行けなくなったのか全く分からなかったのでしょう。もちろん自分が原因とは一切気づいていません。

父はその日、なぜ私が急に会社に行けなくなったのかを問いただしました。だけど残念ながら、

父は精神疾患というものを到底理解できる人ではなかった

のです(多分今でも頭では理解しようと努めてくれてはいますが、感情では全く理解してくれていないと思います)。
父との会話、それは無為どころか、ただただ苦痛なだけでした。

「お前より大変な人はなんぼでもいるんだ!」
「人間、治そう!頑張ろう!と思わなきゃ何もできないんだ!」

はっきり言ってこの手の人に一番言ってはいけない言葉のオンパレード。私の落ち込みはさらに増すばかり。本当は助けてほしいのに。

その苦痛の時間は1時間ほど続き、気力が完全に尽きた私はとにかく横になりました。

そして翌日かかりつけの心療内科に行くことになるのです。

気に入っていただけたら、多少でも結構ですので、サポートしていただければうれしいです^^