小学生のお話(2)~コンプレックス

いわゆる「頭のいい子」でした。試験の時はいつも時間の半分くらいで答案を書き終えたし、大概そのテストも90点以上。4教科全て「大変よくできました」のような評価をもらったことがあります。いやな奴ですね~。

おおむねそんな粋がったガリ勉君(もっとも勉強した覚えは全くないのですが)は、いじめられるものと相場が決まっています。
ただ、自分で言うのもなんですが、私は当時からユーモアを持ち合わた、人間関係を潤滑に進める話術を持った人間でした。ある意味もっといやな奴ですが(笑)
だからからかわれること(自分の名前や体格、私は変わった名前なのです)はあっても、いじめられることはありませんでした。もっとも今思うと尊大なプライドを持っていた私は、そのからかわれることが苦痛でイジメと思ったこともないではないですが。

そんな私がもっとも苦痛だった授業、それが体育でした。

私のコンプレックスの1つ、それは相当に運痴なことです。いや、相当では足りないくらいの運痴でした。

どの競技(陸上や球技)も見事にほぼ最下位、足の遅さはピカイチで50m10秒を切ることはまれでした。

今思えば、基本の走りを教えてもらえばそれなりに走れたとは思うのですが、当時はそんな教育もなく、運動会はいつもドベを見事に獲得。私の尊大なプライドは常にずたずたでした。

特にサッカーなどのチームプレー。大概そこでは上手い子がリーダーとなり、ミスをすると罵倒されます。私はいつも罵倒の対象でした。

そんな子がスポーツをすることが好きになるわけがありません。未だに私は体を動かすのが嫌いな子になりました。

もっとも今はスポーツを見るのは大好きで、とても矛盾した成長を遂げています(笑)

身長も低かったですね。前並びの時は常に一番前。当時から太っていて、まあある意味健康優良児ではあったのですが…ただこの頃は体型に関するコンプレックスはあまりなく、とにかく運痴であることが最大のコンプレックスでした。

そんな母が私の中学について選んだ進路、それは「私立中学への受験」でした。
運動がダメなんだから、取りあえず頭の良さで人生を乗り切ったらいい、そう考えたのだと思います。

うぬぼれかもしれませんが、はっきり言います。きちんとガリ勉をこの頃からしていれば、私はあの「灘中学」に行くことができたでしょう。

しかし、私は勉強ができるけど「全く勉強をしない子」でした。さらにいやな奴です(笑)。笑うくらい勉強をしない子でした。
塾に宿題をやらずに行って、家に帰されることもしばしば。漢字テストもできず(そりゃそうです、勉強してないんですから)、常にケツバットをうける始末。体罰は当たり前の時代でしたからね、ましてやその塾はスパルタで有名でした。

そんな人間が中学に受かるはずもなく。ましてやこの頃はベビーブームまっただ中。倍率4倍の名門中学に見事サクラチル。

書いてるだけで悲しくなります。「自分は努力をしない子」だと言うことに。これは今も続いています(涙)

そうして私は公立中学に進むことになったのです。

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