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2021/6/11

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まだチラ読みだが、作者がいわゆる海外の洋楽は1975ごろで、日本では終焉したとしている点。国産の邦楽、日本人の洋楽テイストが充実してきたから、とのことらしい。

で、小説の賞味期限みたいなので、ちらっとnoteにあった記事を見た。

私見。2000年くらいまでに小説というもののネタは尽きた、と思える。人間の洞察とかはドストエフスキーとかから一世紀以上練られてきた。埴谷雄高『死霊』。『失われた時を求めて」 では、今、こういう長々とした、綿々とした物語を書ける人がいるか。じゃあ、何読むの、と、過去の遺産を読むしかない。現行作家も読みたい人がいれば読めばいい。エッセイはこの先まだまだたくさん書かれるだろうが、小説で、という時代が終わって20年くらい経過してるのでは、と思う。



首尾一貫して常に村上春樹作品に批判的であった著者なのに、村上春樹に関心があるのか、村上春樹の名前を出せば販売促進になるのか、しつこく批評していた方であった。愛がないのだ。絶賛しすぎるのはどうかと思うが、褒めておけば、次の作品が書かれやすいと思うのに。悪口が嫌で日本を離れた村上春樹。見ないようにしていても日本にいると悪口に触れてしまうから。『結婚詐欺師』とまで揶揄された。
こういった時、僕は千葉すずが記者に言ったセリフを思い出す。
「そんなにそう願うのなら、あなたがやればいいのでは」
実際の動画は発見できなかった。アスリートにそのまま話を聞けばいいのに、なぜそれほど、報道する人は攻めるのだろうか。今の大坂なおみの記者会見関係するのか。





理不尽と思われるが、出来事は、事件はおきてしまう。


p23

『羊をめぐる冒険』について。これは、野間文芸新人賞受賞作。
『自閉と鎖国』

 こと読書に関してはNOよYESの方が良いにきまっている。せっかくお金を払って観終った後、感心できず、索然とした気持になり、失われた時間と金を返してくれといいたくなるのは何も映画に限った話ではない。ましてや、この小説のように「既成文壇内部」では評価されず、「文芸誌などふだんあまり読まない」若い読者の「自然発生的な」支持にささえられたという作品にどうしてものめりこめなかったりすれば、何か、自分が凡庸(?)になったような、年老いたような、----「既成文壇」の一員になり果てたような----うそ寒い雰囲気につつまれ、落着かなくもなろうというものである。
 しかし、ぼくはこの小説に動かされなかった。
 この小説を余り面白くは読めなかった。

 p24

 こういうことは、これまでになかった。もし、この小説が「既成文壇」の既成の評価軸からする評価にも、高いポイントを得るような普遍性なり保守性をもっていたり、また或いは、既成の評価軸に抵触するような挑戦的な新しさを持たず、許容されうる性質のものであったり、さらには「既成文壇」を黙らせてしまうだけの力をもっているために、この結果を生じているのなら問題ない。しかし、『羊をめぐる冒険』はそのいずれにもあてはまらない。その文体の新鮮さと完成度の高さは誰しもがみとめるところだろうし、これは単に技術上の問題であるなどとは誰も考えないだろう。と同時に、この文体の質に、これまでの「既成文壇」のワク内の美意識をいらだたせるものがあり、さらにこの小説の登場人物に「対立」と「動き」がなく、これが「小説」としていくつかの欠陥をかかえていることも、明白なのである。




  例えば、音楽。作詞作曲して歌歌う、シンガーソングライターと、歌う(だけ、ことのみ)の人とは違うだろう。評論家は歌うことすらできないのだ。そういう人にとやかく言われたくない。才能で評論している人がどれだけいるか、中にはたくさん才気溢れ、実力のある評論家はいる。本居宣長、ゴッホについて評論をする人がいる。しかし、加藤典洋(かとうのりひろ)は違った。評論基準が笑止である。

p25

  なぜ、この『羊をめぐる冒険』にたいして、これは小説ではない、なぜならここに人間は生きていないから、という「旧来」の立場からの批判を行う「批評家」が、いないのか。



しつこいようだが、また擁護派の内田樹のを。



p133

『ノルウェーの森』

一人の男と二人の女、ではあるが、三角関係ではなく、韓国映画『Y』に似て、Yの関係ではないかと説く。



関係ない映画でしたね。


『行く者と行かれる者の連帯---村上春樹『スプートニクの恋人』』

『スプートニクの恋人』を取り上げている。『ノルウェイの森』の大ヒット後、世間は村上春樹にあまり関心を持たないようになった気がした。おっと、認識が違ってました。今、確認すると、発表順では。

『ダンス・ダンス・ダンス』 講談社 1988年10月13日
『国境の南、太陽の西 』講談社 1992年10月5日
『ねじまき鳥クロニクル』 第1部 泥棒かささぎ編 新潮社 1994年4月12日 
            第2部 予言する鳥編 新潮社 1994年4月12日
            第3部 鳥刺し男編 新潮社 1995年8月25日
『スプートニクの恋人 』講談社 1999年4月20日
『海辺のカフカ』    新潮社 2002年9月10日
『アフターダーク』   講談社 2004年9月7日

『ねじまき鳥』の後でしたね、『スプートニクの恋人』。『アフターダーク』とごっちゃになってる。『スプートニクの恋人』の最初。ジェットコースターみたいな恋で、相手は女だった、と、読んだ時、読むのをやめようかと思ったし、『ノルウェイの森』の二番煎じを期待していたのだろう。
今、この有難い評論を読んでも、『スプートニクの恋人』を読み返す気持ちにならない。












芥川賞の候補作に選ばれたのは、
▼石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」
▼くどうれいんさんの「氷柱の声」
▼高瀬隼子さんの「水たまりで息をする」
▼千葉雅也さんの「オーバーヒート」
▼李琴峰さんの「彼岸花が咲く島」の5作品です。
千葉さんと李さんは2回目の候補で、石沢さん、くどうさん、それに高瀬さんは今回初めて候補に選ばれました。


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『オーバーヒート』はまだ読んでない。どれから読んでもいいとき、いつもそうだが、結局読めない、読むことができない。一種、強制されないと、物事が取り組めなくなったり、続けられなくなるのかしら。
『オーバーヒート』少し読んでみる。


一方、直木賞の候補作は、
▼一穂ミチさんの「スモールワールズ」
▼呉勝浩さんの「おれたちの歌をうたえ」
▼佐藤究さんの「テスカトリポカ」
▼澤田瞳子さんの「星落ちて、なお」
▼砂原浩太朗さんの「高瀬庄左衛門御留書」の5作品です。
澤田さんは5回目、呉さんは2回目の候補で、一穂さんと佐藤さん、砂原さんは、今回が初めての候補です。
芥川賞と直木賞の選考会は、来月14日に行われます。




『風の歌を聴け』


p140 

『夏の十九日間---『風の歌を聴け』の読解』

は、詳細で、面白かった。





カンガルー日和 (講談社文庫) 文庫 – 1986/10/15
村上 春樹 (著), 佐々木 マキ (イラスト)

この中に収録されている『5月の海岸線』はとても好きです。


『トレフル』1981年4月号 『村上春樹全作品』収録時に大幅に加筆された。その際、算用数字の「5月」ではなく漢数字の「五月」にタイトルが変えられた。

『五月の海岸線』

以前、『村上春樹全作品』はほとんと揃えていたのに、今見たら、長編の本が二冊くらいしかなかった。改稿してあるのには興味をそそられるが、ま、いいか。



古くて素敵なクラシック・レコードたち 単行本(ソフトカバー) – 2021/6/24
村上 春樹 (著)

村上春樹、新しい本が出るみたいです。



時系列、バラバラになってる。すみません。

ローランギャロス、女子準決勝、準決勝二試合が一番面白い説もあるくらい、今回も四人とも初めてのグランドスラム準決勝で気合いが入ってました。


SAKKARIとてもいいプレイだったし、体もがっちりしていて、攻撃的で、応援したいと思う。また戻ってきて。


google翻訳によると。

サッカリ:「正直に言うと、緊張してしまい、決勝まであと1ポイントくらいかなと思い始めました。ルーキーのミスだと思います。「良いことは、自分自身にそのポジションに戻る機会があれば、二度と同じことをする必要がないことを知っているということです。」 #RG21

でも、石橋静香とか瀧内公美の出演がなくなって寂しい。











是非に及ばず