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式典における華とは

先日、とある子供のサークルの保護者会で地方自治体や議会に要望を出そうという話になった。要望と言っても大して大きな話ではないけれども、メールや電話ではなくきちんと会合を持って話をするという段取りになった。保護者会では要望が通るようにきちんと筋道立てて話を作っていたわけなんだけれど、そこでサークルの運営組織にいる男性が「その話し合いには、僕も参加しましょう。女性だけでは舐められてしまいますから」と言う。要は(言い方は大袈裟かもしれないけれど)威圧感のために僕が行きますよ、と。

はてさて、そういう会合に威圧感は必要なんだろうかと疑問に思う。威圧感さえあれば、要望をしっかり練らなくてもいいのだろうか?とも思ってしまう。そもそも女性だけだと舐められる、そんな空気が自治体相手の会合や議員さん相手の話し合いにあっていいのか?

そして言い出した男性は自らが「僕が一緒に行った方が話し合いがスムース」と思って言い出したことだけれど、女性だけでは・・・と言う件からは男性が一緒なら舐められないと取れるので、男性ならその威圧感というか安心感というかとにかく舐められない空気っていうのを皆作れるのかっていうと、そうではないと思う。それは性別関係なく個々の持つ空気である。そして、その個々の空気によって要望が通る通らないが決まるのはちょっとおかしい話だけれど、やっぱり話し合いの結論って内容8割、その場の空気2割のところがあるとは思う(勢いとか雰囲気とかいい意味の空気を含め)ので、その空気を自分でコントロールできる人っていうのが適任なのではないかな?と思う。

とある式典のアテンドのために夫が休日出勤している。式典には業績を認められてタイトルを授かる会社の社長とその奥様が参列する。奥様は早朝から美容院を予約し、和装で主席されるとのこと。夫が「こういう式典では女性は華だからね」と言う。それは違うよ、と少し私の意見を話してみた。

ご夫婦で参列するのは社長とその奥様ということもあるけど、社長と取締役って役職のためでもあると思う。そして女性が華を持つことは悪いことではないけど、華として女性が存在するわけではないし、男性が華になったっていい。女性はそこにいるだけで華になるから、なんて言われて嬉しいとは思わない。むしろ馬鹿にしないで欲しい、と私は思う。飾りじゃないし。仕事上のパートナーでしょう?と、そこまでは言わなかったけれど、違うってことは夫はわかってくれただろうか。奥様に失礼がないといいなと思う。きっと、タイトルを授かったご夫婦は会社としてその業績を成し遂げただけでもう華があるし、それ以外の華はいらない。

威厳とか華とか、もちろんそれを(良い意味で)武器として職業として磨いている方もいる。例えば、郷ひろみとかは存在だけで華があると思うし、お世話になった娘の学校の校長(女性)は同席してもらえるだけで安心感をもらった。それを必要とする人も必要とする場所もあるので、それはそれで否定はしないし、持っている人を尊敬する。むしろ私も必要なときは磨かないと!と思う。でも、そういうことに頼らなくていい場面もあるし、むしろ今の時代頼っちゃダメでしょってことも多いし、さらにそこに男女による役目の違いみたいなものを被せてくると、とても気になる。


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