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36年ぶり本大会が近づくカナダ メープル・リーフスが返り咲くまでの長すぎる道のり


カナダが過去にW杯に出場したのは、1986年のメキシコ大会の1回のみです。

当時のW杯予選はCONCACAF選手権(現在のCONCACAFゴールドカップにあたる)を兼ねて行われていました。カナダは1985年の選手権で最終ラウンドまで進むと、1982年W杯出場国のホンジュラスと初出場を目指していたコスタリカとの熾烈な出場権争いを制して、悲願のW杯初出場を決めました。

当時はまだアメリカが強くなる前だったとはいえ、数少ない出場枠を奪い合う群雄割拠の地区。大会ごとに出場国が入れ替わるような予選で、それだけにこの初出場はまさに快挙でした。

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しかし本大会はソ連フランスハンガリーと難敵ばかりが同組になり3戦全敗、無得点5失点という内容で大会を去ることに。初勝利、初勝ち点はおろか初得点すら取れませんでした。

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1990年大会予選では最終予選進出をかけたグアテマラとのプレーオフで2戦合計3-3もアウェーゴールの差で敗退することになりましたが

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1994年大会予選では再びW杯に近づきました。最終予選でメキシコに次ぐ2位となり大陸間プレーオフに進出。オーストラリアとのホーム&アウェーでの決戦となりました。

しかし、2戦合計3-3の激しい戦いの末にPK戦で4-1で敗れ、2度目のW杯の舞台にあと一歩手が届かず。

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続く1998年大会予選でも最終予選に進出。

しかし主力メンバーの多くが力の衰えてきたベテランだったカナダは苦戦を強いられ最下位で予選を終える結果となりました。

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そして、カナダはここからW杯の舞台はおろか

最終予選すら遠くなってしまいます



日韓大会予選 他国の勢いに飲まれていく


2000年、カナダには機運が高まっていました。後に浦和レッズをアジア制覇に導いた監督としても知られるホルガー・オジェック監督のもとCONCACAFゴールドカップで優勝し、その年から始まる2002年W杯予選への期待も高まっていました。


しかし、力を付けたライバル達に歯が立たなくなります。準決勝ラウンドで同地区の盟主メキシコ、ドワイト・ヨークやラッセル・ラタピーら欧州で活躍するベテランを擁するトリニダード・トバゴ、フリオとホルヘのバルデス兄弟を擁するパナマと同組になりましたが

4試合連続無得点と点が全く取れず、5戦目でパナマ相手に勝利した際にあげたジム・ブレナンの1得点が唯一の得点

タレントを擁するメキシコとトリニダード・トバゴ相手には全く歯が立たず惨敗という形で予選を去ることになりました。

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ドイツW杯予選 実力者揃いの中米に沈む


2次予選でベリーズを2戦合計8-0で一蹴し3次予選へ駒を進めたカナダですが、またも激戦区に組み込まれてしまいます

日韓大会に出場した実力国コスタリカ、イタリアでプレーするダビド・スアソやフリオ・セサル・デ・レオンらタレントを揃えるホンジュラス、MLSで得点を量産する大エースのカルロス・ルイスを擁するグアテマラが同組となり、カナダは大苦戦。

当時のカナダのエースドウェイン・デ・ロサリオや後に重鎮となっていくアティバ・ハッチンソンらが得点を挙げるなど気を吐きましたが結局5試合目まで勝ち星すらあげられず、勝利したのは既に予選の結果が決まった最終戦のグアテマラ戦のみ。

サッカーが盛んな中米諸国の勢いに飲まれる結果になってしまいました。

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南アフリカW杯予選 大激戦区に泣く


2007年はカナダのサッカー熱に再び火をつける年となりました。トロントFCがアメリカのMLSに参入し、さらに同年に行われたU-20W杯の開催国になるなどの大きな出来事が続き、更にA代表はスティーブン・ハート監督のもとゴールドカップで3大会ぶりに準決勝まで勝ち進む好成績。W杯予選への期待も高まりました。

しかしゴールドカップの後、サッカー協会はハート監督からU-20代表を率いていたデール・ミッチェル監督への交代を決断。(ちなみにU-20W杯でカナダは3戦全敗で敗退)

2次予選ではセントヴィンセント・グレナディーンを2試合合計7-1で一蹴しましたが

3次予選では同地区の盟主メキシコ、レイナルド・ルエダ監督のもと高い結束力を持ったホンジュラス、アメリカやイングランドでプレーする選手を揃えたタレント軍団のジャマイカという前回以上の大激戦区に組み込まれてしまうと熾烈な争いを繰り広げる3国から完全に脱落し、ゴールドカップの勢いはどこへ行ったやら最終予選進出どころか勝利すら上げられず力なく敗退を喫してしまいました。

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その後ミッチェル監督は解任され、後任には再びハート監督が就任することになります。



ブラジルW杯予選 サン・ペドロ・スーラの惨劇


ハート監督に率いられたカナダ代表は2011年のゴールドカップでアメリカとパナマに屈しグループリーグ敗退

一抹の不安を抱えたままW杯予選へと挑みましたが以外にも好調。2次予選でプエルトリコ、セントキッツ・ネイビス、セントルシアの組を難なく通過すると、3次予選では南アフリカW杯出場国のホンジュラス、地道な強化が実を結び力をつけてきたパナマ、難敵相手に善戦することもある不気味な存在キューバと同組に。

3次予選でもカナダは悪くない戦いぶりをみせ、5試合目が終わった時点でパナマと勝ち点10で並び首位に。キューバは5戦全敗で敗退が決まり、苦戦を強いられたホンジュラスが勝ち点8で3位という状況になり最終戦はアウェーでホンジュラスとの直接対決

敵地とはいえ、カナダは引き分け以上でも最終予選進出が決まるという優位な状況にいました。


しかしカナダにとって、あまりにもショッキングな結果が待っていました。

引き分けでも良かったこの試合を


なんと1-8で惨敗

結果、カナダは3位に転落し予選敗退が決まってしまいました。

かなだ

ヘンリー・ベングトソン、カルロ・コストリー、マリオ・マルティネスらホンジュラス攻撃陣を全く止められず、ベングトソンとコストリー2人にハットトリックを決められる散々な内容。6点ビハインドの中でベテランのイアン・ヒュームが1点を返すも焼け石に水。


手が届きかけていた最終予選の切符は

あまりにも無残な形で破られてしまいました


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予選敗退後、ハート監督は解任され、後任には1998年にヴィッセル神戸を率いた経験もあるスペイン人のベニート・フローロ監督が就任することになりました。



ロシアW杯予選 またも宿敵に・・・


2010年代に入っても低迷が続くカナダはFIFAランキングでも低迷し、2014年には遂に過去最低の122位までランクを落としてしまいました。

ただし戦力的には悪くはなく、2015年で現役を退いたデ・ロサリオの後を継ぐ若きエースとしてサイル・ラリンが台頭。欧州でプレーする選手も増え、同地区ならアメリカやメキシコ以外であればそれなりに戦えるだけの陣容が揃っていました。

3次予選ではW杯常連のメキシコ、2大会連続本大会出場のホンジュラス、中米の実力国エルサルバドルと同組に。

初戦のホームホンジュラス戦を白星で飾り、2戦目のアウェーエルサルバドル戦をスコアレスドローという悪くないスタートを切るも、続くメキシコとの連戦に連敗。続く5戦目では、連敗スタートも盛り返していたホンジュラスとの敵地での決戦となりました。

ホンジュラスの猛攻に耐えながら前半35分にマンジュレカール・ジェームスのゴールで先制したカナダでしたが前半ロスタイムにマリオ・マルティネスに同点弾を許し、さらに後半5分にロメル・キオトに逆転弾を決められそのまま試合終了。同勝ち点だったホンジュラスとの勝ち点差がそのまま3に開き、最終戦でホンジュラスが負けない限りは絶望的な状況に。


最終戦ではエルサルバドルを3-1で下しましたが、ホンジュラスは敵地でメキシコの猛攻を耐え抜きスコアレスドロー。

またしても、ホンジュラスに屈する形で予選敗退となってしまいました。

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何故カナダは勝ちあがれなかったのか


カナダが約20年にわたってW杯予選で勝ちあがれず苦しんでいたことがわかると思いますが、では何故カナダはここまで敗北の歴史を繰り返してしまったのでしょうか。


国内リーグの発展で後れを取った

カナダには近年になって念願のプロリーグが創立されましたが、それまでは設立してはすぐ解体、再び設立しては数年で財政面で継続困難になって解体、ということを繰り返してきました。それでも数チームはかつて存在した北米サッカーリーグや現在のMLSに参入していましたが、国内ではほとんどがセミプロチームとなり国内のサッカーリーグの発展は後れを取る形となりました。

これがどのような弊害をもたらしたかと言いますと「カナダ国内リーグには受け皿がない」ということになってしまいました。ただでさえ狭き門であるプロが、カナダでは更に狭くなってしまっていたのです。

有望な人材の流出に歯止めがかからず、カナダの選手がプロになるには多くが国外に出るかMLSのチームに入らなければならない状況に。

そしてそれは多民族であるカナダの長所をも潰すことになってしまいます。


②国際クラスの選手がカナダ代表を選んでくれない

カナダという国は多文化主義であり多民族国家です。両親や家族が移住してカナダで生まれた選手のほか、生まれた後にカナダに移住してきた選手というのもかなり多いです。

そのため隣国アメリカと同様にルーツを持った選手というのが欧州でも多くおり、強くなるポテンシャルは大いにあったのですがそこで弊害となったのが先ほどのカナダのサッカークラブ事情。受け皿がなかったために帰属意識が薄くなり、カナダにルーツを持ちながらも他国の代表を選んだ有力選手が何人もでました。

一線級で他国代表を選んだ選手で言えば

かつてバイエルン・ミュンヘンで活躍したMFオーウェン・ハーグリーブス(イングランド代表を選択)、欧州の各国リーグで活躍を続けるMFジョナサン・デ・ガズマン(オランダ代表を選択)、イングランドのチームを中心に活躍するGKアスミル・ベゴヴィッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表を選択)、セビージャの正守護神であるGKヤシン・ボノ(モロッコ代表を選択)

など他にも数人いますが、特に彼らが他国代表を選んだことはカナダにとっても痛い人材流出。ユース年代から他国でプレーしたボノやデ・ガズマンはともかく、ユース時代にカナダでプレー経験があったハーグリーブスや年代別代表の経験もあったベゴヴィッチがカナダ代表を選ばなかったのは痛恨。

特にカナダ出身のハーグリーブスがイングランド代表を選んだことに関してカナダのサッカーファンは激怒。2010年にバンクーバー・ホワイトキャップスがハーグリーブスにオファーを出した際には、とあるファンサイトがカナダのMLS所属の3クラブに対して「ハーグリーブスと契約するな」と要求したとも言われています。

それでも、ジョナサン・デ・ガズマンの実兄であるジュリアン・デ・ガズマンや、セルビア人の両親の下でセルビア生まれも少年時代に移住したカナダの代表入りを決断したミラン・ボージャンなどの実力者が代表入りしているのも事実。

チームの戦力を同地区のライバルと比較しても、W杯はともかく最終予選に進めないチームとは思えません。それでは何故カナダは予選を勝ち進めることができなかったのか。


③運の無さと勝負弱さ

近年のカナダの低迷はこれに尽きると思います。2000年代は組み合わせ抽選で激戦区に組み込まれることが多く、2010年代はあと1つでも勝てれば最終予選というところまで来ながら2度もホンジュラスという壁に跳ね返されてきました。

加えて協会の監督選定にも問題があったようにも見えます。予選で敗退するたびに監督交代を繰り返してきましたが、その人選に本気度を感じることはあまり無く本気でW杯を目指すチームを作るつもりだったのか疑問符がつきます。

トリニダード・トバゴやホンジュラス、パナマら同地区のライバル達が他国の知将を招集し悲願の初出場や返り咲きを果たしていることを考えれば

その本気度が結果的にライバル達とのわずかな差になっていたのかもしれません。



カナダを熟知する指揮官と、ヤングスターの登場


そして今回のカタールW杯予選。

カナダは久々に最終予選に駒を進めるとなんとここまで無敗で首位と快進撃因縁のホンジュラスとのアウェーマッチでも攻め込まれながらも終わってみれば2-0で勝利。ここまで6連勝を飾るなど勢いが止まりません。

カナダ躍進の象徴とも言えるのがカナダをよく知る指揮官と、待望のヤングスターの存在です。


現在、カナダの代表監督を務めるのはジョン・ハードマン監督

ハードマン監督

イングランドで生まれた彼は若くしてコーチとしてのキャリアを歩み始め、2006年にニュージーランドの女子代表監督に就任。女子W杯やオリンピック本大会に導くなど結果を出すと、2011年にはカナダの女子代表監督に就任。

2011年に行われたパンアメリカン競技大会(南北アメリカ大陸の国で行われる総合競技大会)では決勝で強豪ブラジルを倒し金メダルと早速結果を残すと、その後も2012年のロンドン五輪、2016年のリオ五輪でもカナダを銅メダルに導くなど高い手腕を発揮していきました。

そして2018年に長く低迷に苦しみ監督交代を繰り返していたカナダの男子代表監督に就任すると、1次予選、2次予選では難敵のスリナムやハイチを圧倒して突破。久々の最終予選では今までほとんど勝てなかったメキシコ、アメリカをも倒す快挙を成し遂げています。


もちろんカナダ快進撃の原動力は監督だけではありません。


カナダサッカーファンが長く待ち焦がれたであろう

若きスーパースターが2人も現れたからです。


その一人は

ドイツのバイエルン・ミュンヘンに所属するアルフォンソ・デイビス

でいびす

リベリア人の両親の下ガーナの難民キャンプで生まれた彼は、その後両親と共にカナダに移住し、エドモントンのクラブチームで少年時代を過ごした後バンクーバー・ホワイトキャップスのユースチームに所属しました。

その後リザーブチームと契約を結ぶと15歳と5か月でプロデビュー。1か月後にはプロ初ゴールをあげ、USL(MLSの実質下部にあたるリーグ)史上最年少ゴールを記録。その後も活躍を続けるとトップチームでもその才能を発揮し、一躍欧州強豪チームの注目の的となりました。

2019年にバイエルン・ミュンヘンへ加入すると、すぐさまデビューを果たしバイエルンでは元パラグアイ代表FWロケ・サンタクルス以来の10代でのゴールも決めました。

その後、チームの負傷者の関係からウイングからサイドバックへとコンバートされるといかんなくそのスピードと攻撃力を発揮し、CL制覇に貢献。瞬く間に世界にその名を轟かせました。

今や、カナダ代表と言えばデイビスを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。デイビスはリベリア人両親のもとで生まれたためリベリア代表になる資格も有していましたが

デイビス本人は17歳の時「カナダを代表できることは自分の夢の一つ」と発言。その年にカナダの市民権を得て、正式にカナダ代表としてデビューすることになりました。

代表では攻撃力を生かすため主にウイングで起用され、クラブチームと同様に相手守備陣の大きな脅威となっています。


もう一人は

フランスのリールに所属するジョナサン・デイビッド

でいびっど

ニューヨークでハイチ人両親の間に生まれ、ハイチを経た後6歳のときにカナダに移住したデイビッド。オタワでサッカーを始めた彼は、元々MLSでプレーする気がなく、最初から欧州でプレーすることを目指していたそうです。

その後、18歳でベルギーのヘントに加入するとすぐさまエース級の活躍を見せ1年目に12ゴール、2年目には18ゴールをあげ得点王に。

その活躍が評価されフランスのリールに移籍すると1年目に13ゴールをあげリーグ優勝に貢献、2年目の今季(2021-22シーズン)は22試合時点で12ゴールとフランスでもエースとして躍動しています。

アメリカ生まれであったため、カナダの年代別代表の頃にU-20アメリカ代表から招集されましたが本人がこれを拒否。本人の目標はカナダ代表になることだったためです。

その後カナダ代表としてデビューしたデイビッドは、ラリンやデイビスと共に超強力攻撃陣を形成。エースのラリンに並ぶ5得点をあげチームを牽引しています。



久々の槍舞台と、その先へ


あと一つ勝てば悲願の本大会に返り咲けるカナダ。

もはや本大会の切符は手中にあると言っていいでしょう。


本大会の目標はもはや初得点を取ることや、1つ勝つことではなく

更なる好成績

そして、今のカナダにはそれが可能な知将と選手が揃っています。


念願だったプロリーグも開幕し

2026年の共同開催国としても恥ずかしくない環境が整いました。


カタールだけで、自国開催だけで、終わらないために。

黄金時代の幕開けとなるのか。


そして

2022年12月、カタールの地でカナダがどんな結果を残すのか

今後もカナダ代表から目が離せなくなりそうです。



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