一ノ瀬俊也 『東條英樹 「独裁者」を演じた男』文春新書 1200円+税


東條英機をほめることばを親世代から聞いたことがありません。やれ、首相在任中に全国を視察して、ごみ箱を覗き込み、まだ使えるものを捨てていないかと、細かくチェックして歩いていた。やれ、防空訓練の一貫として、女性たちに竹槍の訓練をさせていた。そうした話を私たちは、耳にタコができるぐらい聞かされて育ったのです。精神論で凝り固まった、セコイ独裁者。それが親世代から植え付けられた、東條のイメージでした。敗戦の責任をすべて被せられた感のある、この軍人政治家に対して、本書は新たな観点を提示しています。
東條の生家は、慎ましい職業軍人の家庭でした。努力はすべてを可能にするという信念の下、超人的な努力を重ねた東條は、軍の学校で目覚ましい成績を残します。軍人官僚としての東條は、大変な能吏ではあったが、大局観に欠け、政治的な駆け引きを苦手としていました。しかし人事抗争には異常な執念を示し、また憲兵組織を活用することによって、皇道派との血みどろの抗争に打ち勝ち、陸軍に覇を唱えます。皇室への尊崇の念の厚い東條は、昭和天皇の信頼を獲得していきます。こうして東條は、日米開戦時の首相の座に就きました。
20世紀の戦争は、物質だけではなく人々の精神も総動員する総力戦でした。ヒットラー、ムッソリーニ、ルーズベルト、チャーチル、スターリン。第二次世界大戦の指導者たちは、国民の心理的なエネルギーを動員しうるカリスマとしての力を備えていたのです。東條はそうしたカリスマ性が欠如していることを自覚していました。その分、東條は自らの庶民性をアピールすることに熱心でした。ゴミ箱を覗いて歩くパフォーマンスは、人々の苦しい生活に同情を寄せる、「人情宰相」の像を演出するためのものであったと著者は言います。
東條は必ずしも頑迷な精神論者だったわけではありません。20世紀の戦争においては、航空兵力の差が死命を制するという正確な認識をもっていました。だが物質ではアメリカに勝てない以上、それを精神力で補う他はない。特攻計画と竹槍訓練とはその論理的帰結です。「人情宰相」を装いながら実際の東條は人々の窮状に対して冷淡でした。食糧事情は悪化させるに任せていました。陸相時代に東條が制定した「生きて虜囚の辱めを受けず」の「戦陣訓」は有名ですが、サイパンの残留邦人を集団自決させることを彼は考えていたのです。
対英米戦争においては、その戦争目的さえ明確ではありませんでした。アジアの民を西欧列強の支配から解放する「大東亜戦争」であると主張した陸軍に対し、海軍は日本の独立を守るための「太平洋戦争」と位置付けたのです。陸軍の主張も「人種戦争」とみなされ、独伊との間に亀裂を生じさせることを恐れた昭和天皇の進言によってぼやけたものとなります。東京裁判において東條は、昭和天皇を守り、開戦の責任の一切を東條に被せようとしたアメリカのシナリオに従い堂々の論陣を張ります。最後まで彼は「独裁者」を演じたのです。

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