富田武 『日ソ戦争 1945年8月』みすず書房』3800円+税

  私たちの世代の耳に、「シベリア抑留」ということばは馴染んでいる。自分が習った学校の先生の中でも、抑留を経験した人は少なくない。「ノルマ」というロシア語をもたらしたのも抑留経験者たちである。毎朝捕虜たちは穴を掘らされる。一日のノルマを果たせなければ、食事を与えられず、餓死してその穴に埋められるという話も聞いた。「シベリア抑留」は知られていても、それをもたらした日ソ戦争について知るところは少ない。

 最新の資料に基づいて著者は、この知られざる戦争について多くを教えてくれている。日本は連合国との和平の仲介役として、ソ連に期待をかけていた。スターリンなど、独ソ不可侵条約によって、平沼騏一郎をして「複雑怪奇」と言わしめた、およそ信用できない人間である。その善意に期待していたのだから、お話にならない。駐モスクワ大使の佐藤尚武は、安易な楽観論を諌め、ソ連は遠からず参戦してくると警鐘を鳴らし続けていた。

 ソ連に仲介を依頼する代償として、日本はポーツマス条約で得られた南樺太等の領土の譲渡をソ連側に示している。それはまあよい。ソ連側に提示した条件の一つに、捕虜の供与という項目があるのに驚く。「国体」の護持のために自国民を差し出して、シベリア開発のために酷使してやってくださいと言うのだ。関東軍は、われ先に逃げ出しその結果多くの居留民の命が失われてしまう。この国は自国民を簡単に「棄民」にしてしまうのだ。

 日ソ戦争は、お互いにとって「恥ずべき戦争」だった。だから両国とも、この戦争に口を閉ざしてきた。ソ連は火事場泥棒的に参戦し、日本人居留民たちに蛮行の限りを尽くした。被害にあった日本人も「無辜の民」であったとはいえない。「開拓」といえば聞こえがいいが、先住民の所有地を収奪して、そこに入りこんでいったのだから。日ソ戦争で失われた北方領土が帰ってくる可能性がなくなった。安倍首相の大いなる「功績」である。




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