なぜ食事漫画は料理漫画から独立できたのか

食事漫画とはなにか?
食事漫画は「料理人のこだわり」以上に食べる人,言わば「食事人のこだわり」が全面に来る漫画のことである.近年になって「孤独のグルメ」を始めとする食事漫画に人気が出始め,多くの食事漫画が出るようになった.

言い換えれば,食事漫画は近年になるまで,大きな注目は得られなかったとも言える.それは多くの人にとって食事漫画が料理漫画の一部にすぎない,添え物に過ぎないと考えていたからだ.

料理漫画にはかならず食べるという要素が存在していた.特殊なリアクションで人気を博した料理漫画も多く存在する.しかし,それでも食事は料理よりも優先されることはなかった.あくまで素晴らしい料理に対する感想として食事が存在するのだ.


しかし,これは勘違いなのだ.多くの人は食事は料理漫画に依存していると思っていたが事実はその逆だ.

料理漫画は確かに食事シーンを必要とするが,食事漫画は料理シーンを必要としない.この事実をみなさんに説明しよう.料理漫画に必要な要素は何なのか考えて欲しい.それは

・料理を作る
・料理を食べる

この2つである.多くの人は何故こんな当たり前なことを書くのだと思われるかもしれない.確かに料理対決漫画であれば,審査員が料理を食べることで勝者が決まるし,料理問題解決漫画なら,困った問題が起きた人に料理を食べさせて事態の収束をはかる.この2つの要素は常につながっているのは誰の目にも明らかだ.

似たような関係はミステリーものに見られる.「解決」を行うには「謎」が必要だし,「謎」を「解決」することがミステリーだ.言わば「謎」と「解決」は共生関係にあるのだ.「謎」投げっぱなしのミステリーや,謎無しで「解決」を行うミステリーは存在できない.それはただの怪奇ものか,もっと得体のしれない何かだろう.

料理と食事に対してどんな関係が成立しているか考えるとある事実に行き当たる.それは

食事は料理を必要としていない

ということだ.現実であれば「料理」なくして「食事」は無く,「食事」という目的がなければ「料理」なんて作られない.だが,これを漫画の範疇に当てはめなおしてみよう.

料理漫画の料理部分は,「いかに料理を作るか」という点にある.そして料理漫画の決着は「その料理を食べる」ことでのみ付けられる.だが「食事」側だけで考えれば

料理人の料理へのこだわりよりも,食事人のこだわりが優先される

という場合が考えられるのだ.例えばチェーン店系の飲食店やインスタント食品を食べるときに料理人のことを連想するだろうか?殆どの場合,大きな問題が生じなければ(非常に美味しい,不味いなど),いかに食べるかが優先されるだろう.

つまり,食事は料理のシーンがなくても存在できるのだ.

そしてこの食事は料理から独立という事実に気がついた人物が久住昌之である.食事漫画の歴史を振り返ってみれば

『かっこいいスキヤキ』の一作を実写化した世にも奇妙な物語の『夜汽車の男』が取り上げられることで多くの人が食事だけをテーマにした作品が存在できることを知り,『孤独のグルメ』の実写化で一気に認知されるという流れになった.

久住昌之は『かっこいいスキヤキ』と『孤独のグルメ』の両方に関わっている.彼がいなければ食事漫画はまだ世に気づかれることはなかったのかもしれない.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?