海外からやってきた日本語が苦手な男と五島列島を旅した話

大学一年生の冬。この頃の筆者は釣り中心の生活を送っていた。どのくらい中心かというと、それはもうハートのホントの”ど真ん中”。

狙う魚は興味のある魚すべて。活動範囲は近所の琵琶湖から北海道や高知などの国内の遠方。時には海外。

それを毎週のように行っていた。

簡単に言えば毎週が”旅”。旅費がかさむ。

大学生なので、金なんか当然あるわけもないから、飯も滞在費も切り詰めながら移動費だけを捻出し、移動費も車は下道、遠方は高速バス。海外に行くときは乗継便の格安チケット。

体力と時間をお金の代わりに消費することで、なんとか成り立つ釣り生活を送っていた。

一人で釣りすることも多かったが、そんな筆者にも釣り仲間がいた。頻度や距離を考えると当然、誰でも一緒に釣りにいけるわけもなく、同行してくれる釣り仲間は自然と固定されていった。

そんな貴重な釣り仲間の1人が奈良県在住の央君。自分より2つ年上の先輩。

央君は某水産学部のある大学に所属しており、狂ったように魚を探し続ける狂人。周りからは”オカシイ”と言われるくらい釣り狂っていた筆者から見ても、たまに引いてしまうほどの人物である。

そんな央君が言った。

「アメリカに住んでいる弟がこの春から日本に帰国する。」

央くんに弟がいてアメリカに住んでいるということは聞いていた。兄弟別々で暮らしているということも聞いていた。

そして央くんは続けた。

「弟はアメリカのバス釣りトーナメントに出てて賞金とかとってる」

なにそれ初耳。めっちゃかっこいいやん。

自分の中の弟に対する関心が一気に高まった。
央くんのただの弟という存在から、非常に気になる存在に。

筆者はアメリカという国に強烈な憧れを抱いていた。ブラックバス釣りの本場…なんなら今も継続して憧れている。

しかもアメリカのバス釣りトーナメントに出るっていうのは幼少の頃から抱いている夢。

そんな世界に住んでいた釣り人が日本に帰国する。

そして年齢はどうやら筆者の1つ下らしい。そんなすごい奴がいるのか、しかも央君の弟という近しいポジションに。

央君は「弟はずっとアメリカに住んでいたので日本に釣り友達がいないから仲良くしてやって欲しい」と言って、当時の主要SNSであるmixiをつなげてくれた。

mixiで友達になると弟はメッセージを英語でズラズラと挨拶を書いてきた。


怖い!怖すぎる!

何者なんだ!つかなんで英語なんだ!もしかして日本語喋れないのかもしれない。

未知との遭遇‥不安な気持ちを抑えきれなかったが、ほどなくしてアメリカから帰国する弟と”バラムツ釣り”の船上という場で顔合わせすることになった。

アメリカから帰国した男。

名前はマサ。

第一印象は日本語が少し不自由ということだった…

そりゃそうだ。話を聞くと小学校時代はシンガポールで、中高校はアメリカ。日本にいた期間より海外経験が長いのだから。

そして釣り仲間として、自分のはじめての後輩。
慣れない日本のよき友達にならねばという使命に駆られた。


とはいえ、中身がアメリカ人かもしれない男。もしかしたら文化も違うかもしれない。どうやったら心が通じ会えるかわからず…

育った環境も違えば、使ってた言葉も違う。共通点は釣りしかない。

”釣り”という手段でしか会話が思いつかなかったバカな筆者はいきなり遠征の釣りに誘った。

”五島列島にヒラスズキ釣りにいかへん?”

今なら思う。2人で旅行なんてお近づきになってから行くものだ。
”こいつ最初からめっちゃ踏み込んでくるやん…”なんて思うのが普通だ。

大人になった自分ならそう思うし、自分なら断ると思う。

ところがマサは即答えた。

「行きましょう」

マサはオカシイ奴だった。
しかも弟はその後続けてこう言った。

「五島の前にタイランド行ってるんで、中1日あけて五島に向かいます」

中一日しかない密スケジュールでも全く気にしないマサ。本当にマジかと思った。思ったより感覚が壊れている。

ちなみにマサの日本の居住地は東京。
つまりはタイランド→東京→五島列島という移動経路。

本当に来るのか少し心配だった。

現地集合の当日。弟のマサは五島列島には本当に来た。タイランドから来た。

行動力とアメリカ人という勝手すぎる偏見から、すごいタフなやつだと思っていた。体もデカイし。だが、そんなマサはタイランドでお腹を壊したままやってきた。

体力はあるが、お腹は弱いらしい。そんな一面に少し安心した。初日はトイレが近いという条件を満たす磯を探す所からはじまった。

島での生活。日中はヒラスズキ釣りで夜はライトゲーム。

夕食は釣った魚を鍋にブチ込んで、バカのひとつ覚えで味噌で味付け。2人で狭いレンタカーで震えながら車中泊生活を送った。

過酷さを忘れるほど毎日が輝いていた。島を離れる頃にはお近づきどころか、親友になっていた。

文化も育ちも違うと考えていたが、生活の中心に釣りがあるという絶対的な共通点から心が通じ会えたのだろう。心配していたのがバカみたいだった。

楽しかった日々は終わるものである。終わったらまたはじめるしかない。

五島から帰ってきてすぐにマサの住む東京に遊びにいった。
狭いワンルームに居候しながら魚を釣り、うまい飯を食った。

我々はそれからというもの、凄い頻度で東京と関西をお互いが行き来しながら遊び続けた。

本当に毎月のように会っていた。マサの日本語がどんどん上手くなっていくのが面白かった。

基本的に交友関係というのは終わりが来るものである。例えば中学から高校に上がった時、どれだけ仲良かった友達も疎遠になってしまうことが普通にある。

環境が変わる、自然と連絡をとらなくなる。何らかの理由で関係に賞味期限が来てしまうのだ。

ところが縁とは不思議なもので、環境が変わっても切れなかったり、なんなら切ろうとしてもきれない縁というものがある。

自然と残った縁、そういったものがあるのだけれどもマサとは縁があった。

社会人になった筆者は就職先の配属で関東に移住した。
マサとは頻繁に飲んで遊び、休日は釣りにでかけるような関係になり、大学時代よりもより多くの時間を過ごすようになった…

五島列島遠征からはじまった兄弟との縁。
20代前半にした人生における大きな選択”起業”の後押しとなる。

今回はそんなストーリーのプロローグでした。


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