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【神奈川のこと103】ランドリー号に乗って=前編=(鎌倉リトルリーグ)
40年ぶりに当時の仲間が集い、想い出の地を巡った。
よってこれを書く。
昭和58年(1983年)、鎌倉市立手広中学校1年生の夏。所属していた硬式野球チームの鎌倉リトルリーグ(以下、鎌倉LL)では、最上級生チーム「イーグルス」の主将として最後の大会に臨むべく毎週練習を重ねていた。
昭和54年(1979年)、鎌倉市立西鎌倉小学校3年生の春に入団してから丸4年。この間、リーグ名は「西鎌倉LL」から
【神奈川のこと102】平成、昭和それぞれの象徴(横浜市西区/インターコンチネンタルホテル、中区/ホテルニューグランド)
生暖かい風が吹く1月最後の日曜日。昼下がりのJR桜木町駅に降りた。
よって、これを書く。
職場同僚の結婚披露宴に出席するため、インターコンチネンタルホテルに向かって歩く。
新郎新婦は共に在日韓国人。席次表を見ると、日本の苗字が圧倒的に少ない。女性の出席者にはチョゴリ姿が目立ち、美しい。そして、気になる司会者は、日本語と韓国語の両方で進行する。聞けば新郎の大学時代の先輩という女性。素敵だった。
【神奈川のこと101】4年ぶり開催(大和市/北京飯店)
2023年12月と2024年1月、怒涛の2ヶ月が終わった。ここでちょっとだけ昨年のことを振り返っておく。
よってこれを書く。
平成22年(2010年)に、我が母校、東海大相模高校陸上競技部顧問の長澤 彰先生が退任するにあたり、今はもう消滅してしまった相模原市南区のラポール千寿閣にて、私の所属する24期生の前後2期のOBOGが集まって謝恩会を開いた。会の最後は、参加者全員、輪になって手をつなぎ、
【神奈川のこと100】聖なる夜に歯笛吹いて(京都市/西京極総合運動公園~鎌倉市/カトリック大船教会)
まことに慌ただしいクリスマスとなった。
よってこれを書く。
この度初めて、母校、東海大相模陸上部の女子駅伝チームが全国高校駅伝大会に出場した。
場所は、都大路。つまり、京都である。
同部OBOG会事務局長で、母校の同窓会役員でもあるため、ちょっと体調を崩してはいたが、無理を押して応援に出かけることにした。
今夏、同窓会役員として、日帰りで阪神甲子園球場を訪れた時と同じように早朝、大船駅ま
【神奈川のこと99】大阪より持ち帰りし鎌倉=後編=(かまくら春秋)
甲子園を後にした前編の続き、つまり後編を書く。
臨時阪神電車で梅田駅に到着。
8期上の先輩で、母校の応援団長を務めたクリスチャンの同窓会長に連れられ、梅田の地下街でランチをご馳走になる。
その後、同窓会長と梅田地下街の雑踏の中、お別れの握手。そのお姿が人混みの彼方に見えなくなるまで、感謝の気持ちで見送った。
さあ、一人になりましたよ。10年ぶりの大阪です。
時はすでに14時15分を回っている。
【神奈川のこと98】大阪より持ち帰りし鎌倉 =前編=(新横浜から阪神甲子園球場へ)
今夏、甲子園球場を訪れた。
よって、これを書く。
8月12日の早朝4:45。湘南モノレールはまだ眠っていて、大船駅まで家内に車で送ってもらう。横須賀線と横浜市営地下鉄を乗り継ぎ新横浜駅に到着すると、同駅始発の新幹線のぞみ号で一路、新大阪駅に向かった。想像以上に車内は空いていた。ガラン、ガラン。
あの殺人的壊滅的猛暑の中、わざわざ甲子園だなんて。我が母校、東海大相模は、慶應義塾(塾高)に県大会
【神奈川のこと97】行きつけの酒場(藤沢駅南口/スケアクロウ)
ああ、3年半ぶりに訪れた。
よって、これを書く。
平成29年(2017年)から3年間、みっちり通ったバー。その名は「スケアクロウ」。
藤沢駅南口を出て徒歩2分、江ノ電の藤沢駅やカトリック藤沢教会のある界隈。ビルの階段を地下に降りれば、その奥まった木製のドアの先に、めくるめくスケアクロウの世界は広がっている。
粋なマスター。そして、カウンターの中でマスターを手伝う女性たちの個性が楽しい。やっ
【神奈川のこと96】秋にまた行きたくなる映画館(藤沢市鵠沼海岸/シネコヤ)
すこぶる忙しかった7月が終わる。
その終わりの記念に、映画を観に行った。
熱中症警戒アラートが発表されて、家から一歩外に出れば、殺人的な暑さが襲いかかるというこの異常事態の中、日焼け止めクリームを塗り、日傘を手に出掛けた。
よって、これを書く。
まず徒歩8分のイワサワランドリーへ寄って、スーツのズボンを2本預ける。シャッターがまだ半分閉まっていたので、待つべきか行くべきか3分ほど逡巡している
【神奈川のこと92】森下典子さん(横浜市保土ヶ谷区/かながわアートホール)
ついに会うことができた。
よって、これを書く。
先日、保土ヶ谷公園内にある「かながわアートホール」にて、映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」のDVD鑑賞会があった。そして上映後には、原作者の森下典子さんが登壇してのお話しがあった。
森下さんは想像していたよりも、うんと気さくで明るく、愉快な方であった。お話しを聴いていて何度も膝を叩いて笑ったし、へぇ~と感心した。そう考えてみると、なるほ
【神奈川のこと91】ファミリーヒストリー(相州鎌倉御用邸前通り&横浜市中区山手町)
あれから150年が経った。
よって、これを書く。
明治5年(1872年)3月下旬。
一人の男が当時の英国領アイルランドから、日本にやってきた。
愛する家族を祖国に残し、35歳での単身赴任。
彼は、時の明治政府からの招きに応じて、電信技術者として来日したいわゆる「お雇い外国人」の一人である。
その後、逓信省(現在の郵政省)の電政顧問として、日清日露の両戦役における軍事通信の確保や日米海底線敷設な
【神奈川のこと89】スーパーナチュラルウーマン(横浜市都筑区/市営地下鉄北山田駅)
いや~、まいったまいった。
久しぶりにやってしまった。
でもたまにはいっか。良しとするか。
よって、これを書く。
先日、東京は渋谷にて、新卒で入った会社の仲間4人と飲めや歌えやのはめ外し。
この4人で遊ぶのは23年ぶり、つまり約8400日ぶりであった。
男3人と女1人。
8400回の夜と朝を、それぞれが様々な想いと状況で迎え、歩んできた。
仲間の一人は、その会社でがんばり続けて今や役員となっ
【神奈川のこと88】初めての転職活動(横浜市西区/リクルート人材センター)
最近、ちょっとした別れがあった。
よって、これを書く。
あれは、新卒4年目の1996年頃(平成8年)だったか。
初めて転職活動をした。
アポイントメントも取らず、当時横浜駅西口の北幸エリアにあったリクルート人材センターにいきなり訪問した。今では、そんな飛び込みで転職相談をするなんて考えられない。ちゃんと事前に登録して、面談のアポイントメントを取ってから訪問というのが当たり前だろう。
横浜