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未だネット上に存在しない日本美術史について

作品とどう出会っているか

有名な美術品に私たちはどのように出会っているでしょうか。

おそらく現代においては、本物の作品を見ることが初めての作品経験であることは稀でしょう。チラシやポスター、ネット上で画像を見たりするのが、最初の接触であることがほとんどです。

一昔前なら、美術全集だったり、美術雑誌に掲載された図版だったりしました。たとえば大正時代の画家たちが、セザンヌやゴッホといったポスト印象派の作品に出会ったのは、『白樺』といった雑誌に掲載された、今から見ればモノクロ写真の粗末な図版によってでした。

これは美術史研究者の経験においても同様で、高階秀爾は、矢代幸雄『世界に於ける日本美術の位置』講談社学術文庫版の解説で、この本が刊行された当時のことを振り返って、次のように述べています。

当時〔引用者註:本書が刊行された1948(昭和23)年9月〕私は旧制高校の学生であったが、今思い返してみても、寮の食事はピンポン玉くらいの芋の粉の団子がふたつ皿の上に載っているだけといったような有様で、全員が半ば栄養失調になってお腹を空かしていた時代であった。そのような時によくこれだけの本が出たと思うが、〔中略〕もちろん紙質は悪く、写真図版も今日の眼からすれば大分見劣りするが、それでも、〔中略〕豪華な美術書どころか、そもそも書物というものに飢えていた時代には、それはどんなにか眩く輝いて見えたことであろうか。

高階が本書を読んだのは大学に入ってからのことだったそうですが、取り上げられている西洋美術の名作をいつか実際に自分の眼で確かめてみたいと強く思ったと述懐しています。粗末な図版であってもどれだけ人の心を揺り動かすことができるかを知れる時代の証言であると思います。

私たちには粗末に見えたとしても、当時の人々はその図版で感動し、新たな作品を描こうとしたり、いつか本物を見るぞと決意したりして、心を震わせていたわけですから、粗末な図版とそうした人々の経験に対して敬意を表すべきでしょう。

ところが、こうして美術の道へと人々をいざなってきた偉大で粗末な図版の価値は全く認められていません。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、あらためてそうした粗末な図版に触れる機会はほとんどありません。だって本物を見ればいいし、それが無理ならデジタルでカラーの高精細な画像が見れるでしょ、というわけです。

印象的だったのが、2022年に練馬区立美術館で開催された「日本の中のマネ 出会い、120年のイメージ」展で、当時の書籍や雑誌などの写真図版がほとんど展示されていなかったことでした。日本の近代美術史の中で見えにくくなっているマネ受容の全容を見定めようとしたこの展覧会は、内容の質の高さから非常に評判でした。たしかに資料の展示も充実していて『白樺』で組まれたマネ特集などについての解説などもあったのですが、しかしそれはテキストが中心で、実際に雑誌などに掲載された図版を見せるということは意図的にはしていませんでした。

日本にあるごく少数の絵画と版画によってマネの画業を通覧しようとし、それでも不足する代表作などはカラー図版で補う。これではどのようにして当時の人たちが視覚的にマネの作品と出会ったのかがわかりません。現在の私たちがマネと日本で出会いなおすことはできても、どのように受容されたか追体験するのとは別の経験になってしまっていたと思います。やはり、どれだけ粗末で鑑賞に堪えるものではなかったとしても、当時の人々が見たであろうモノクロの写真図版をぜひとも展示すべきだったと私は思うのです。

つまり、現在の私たちにとって鑑賞に堪えるかどうかではなく、当時の人々が少なくともこれらの図版を通して作品を知ったという経験に対して、もっと自覚的である必要があるのではないか。そうした問題提起をもっと先回りしていくと、今現在私たちが慣れ親しんでいるデジタル画像も粗末なモノクロ図版と同じ運命にあるということになるでしょう。

いえ、むしろ、紙という優れた耐久性のあるメディアに定着してあるぶん、圧倒的にモノクロ図版のほうが有利かもしれません。いまでも紙媒体のメディアは健在ですが、現在主流なのはパソコンやスマホの画面でみるデジタル画像です。

しかし、デジタルデータは存在が不安定で、劣化を繰り返してネット空間をフワフワと漂っている。それでは私たちの経験したことも、所在なくフワっとしたまま、そのうち忘れ去られて行ってしまう。はたしてそれでいいのでしょうか?

美術史の体系はネットで構築できるか?

書籍やネットを介して人々が美術をどのように経験してきたのか。この問題を考えるうえでひとつ、重要な研究を紹介しましょう。

太田智己「美術全集の歴史 その始まりから現在まで」(2010年代に小学館が刊行した『日本美術全集』の月報で連載、全20回)は、美術全集という書籍形態が時代に合わせて変化を繰り返してきたことを論じています。変化を繰り返してもなお、その根幹にあり続けている理念に「家庭美術館構想」があるといいます。

美術全集という出版物の根幹には、家庭美術館という思想がある。それは1929年に、最初の美術全集、『世界美術全集』(全36巻、平凡社)が刊行されてから、ずっとそうだった。ふつうなら家庭で所蔵できないような美術品を、全集の写真図版として蔵書し、それにより、家庭を疑似的な美術館に変える構想。この構想は、戦争と敗戦、戦後の復興、高度経済成長と安定成長を経ても、美術全集を支える基本理念でありつづけてきた。


 太田智己「美術全集の歴史―その始まりから現在まで―第20回:2000年代以降―デジタル時代の“家庭美術館”」、山下裕二責任編集『日本美術全集』第20巻月報20所収、小学館、2016年

美術全集が生まれた時代背景として重要であったのは、美術館にアクセスできず、美術品に触れる機会の少ない人々に、家に居ながらにして美術品に手軽にアクセスする手段を提供したという点でした。それが、美術が大衆化されるにつれて、よりカジュアルに楽しめるようなコンパクトな形態へと変化していったといいます。

思い返せば美術全集は、日本の社会や経済の変化に寄り添いつつ、その歴史を刻んできた。そもそも1920年代に美術全集が誕生したのは、当時は実際に美術館が整備されていないという社会状況があったからだった。だからこそ、身近に美術館がなく、美術品に触れる機会の少ない人たちのために、”家庭”を美術館にする必要があったのである。逆に70年代後半から、経済成長を背景に美術館建設が相次ぐと、美術鑑賞の趣味が一般に拡大する。それが今度は、美術全集刊行ブームの背景ともなった。そして90年代になると、家庭のあり方も変わるなか、”家庭美術館”というより”個人美術館”をめざす、カジュアル志向の全集も生まれることになる。

太田智己「美術全集の歴史―その始まりから現在まで―第20回:2000年代以降―デジタル時代の“家庭美術館”」、山下裕二責任編集『日本美術全集』第20巻月報20所収、小学館、2016年

デジタル時代である現在について、太田は、Googleが各国の美術館と提携して、作品の画像や展示空間のストリートヴューなどを提供する「Google Art Project(現Google Arts & Culture)」が、この美術全集の基本理念となってきた家庭美術館という思想をネットとデジタルを駆使して実現した最新の事例であると評価しています。

ところで、太田は、全集を所有することで家庭を美術館に変貌させるという思想によって美術全集を広く定義しているわけですが、典型的な美術全集というのは、本来ひとつの美術館だけでは提示しえない美術史の体系を構築するという重要な役割も担ってきました。2010年代刊行の小学館の『日本美術全集』が、まさに狭義の「THE 美術全集」の最新作であり、全集のカジュアル化が進む流れからすれば回帰を意図した企画といえます。

Google Art Project がはじまったのは2011年のことで、美術館と提携して公式にコンテンツを提供している点で画期的であったことはたしかです。しかし、Google Art Project の場合、閲覧できるのは参加する館の所蔵品に限定されるので美術史の体系を示すのにも限界を指摘できます。

というのは、通史の記述には欠かせない重要作であっても、個人蔵や法人などの団体が管理する作品は、権利関係の微妙な兼ね合いもあってデジタル画像、3Dデータなどのオープン化がなされにくい傾向にあるからです。

すくなくとも公式のコンテンツとして、この限界を乗り越えて、狭義の美術全集をネット上に構築することは現時点では困難といわざるを得ません。

つまり、今のまま各美術館の所蔵品ベースでオープンアクセス化が充実していったとしても、これまで美術全集が書籍媒体で、美術館という枠を飛び越えることで提示してきた体系的な日本美術史はできあがらないのです。

日本美術史の総体的なイメージを提供してきた美術全集は、当然ながらその体系性を重視するコンセプトから、所蔵者が誰であるかの制約なく、歴史的重要性を鑑みて作品選定がなされています。こうした体系的な日本美術全集が、ネット上では未だ構築されていません。

Wikimedia Commons および Wikipedia の活用

美術史の体系をカバーしたプラットフォームを構築できるとしたら、現時点でそれが可能なのは Wikimedia Commons および Wikipedia です。

2001年からサービスを開始した Wikipedia は(Wikimedia Commons の開始は2004年)、Google Art Project よりも10年先んじて、ネットを通じて人々の美術の歴史や美術品へのアクセスを可能にしてきており、その重要性が指摘されないのは不可解でさえあります。

おそらく Wikipedia は、未だに研究者がまともに扱うのは難しいプラットフォームなのではないかと思われます。というのは、その多くが主体の特定が困難な有志が編集する非公式な内容であることや、記事のクオリティにはムラがあり学術的に洗練されているとは言い難いこと、打ち込まれたデータの信頼性などの問題を抱えているからです。アカデミアにおいては Wikipedia に書いてあることを鵜呑みにするなと学生を指導するための、反面教師的な教材として言及されることが多い気がします(現に私はそうした指導を受けました)。

ただそうして言及されるのは Wikipedia が良くも悪くも大きな影響力をもっているからだし、それに、内容的に不正確であったり不備があったりしても、とにかくなにかしらの情報がネット上にあるということの重要性が軽んじられるべきではないと思います。間違っていたとしてもそれを訂正しつつ、信頼性を高めていくプロセスを踏んだ方が、ネット上に情報がないことで、存在が不可視化されたままであるよりはるかにマシです。そうしたノイズ混じりのコンテンツでも、ネットを介した人々の重要な経験として歴史的評価を受けるときが必ずくるはずです。

現在では、Wikimedia Commonsにオープンアクセスを推進する海外の美術館が所蔵品画像のファイルをインポートする取り組みがなされています。例えばパブリックドメインとなっている作品の画像を原則CC0(クリエイティブ・コモンズ・ゼロ、いかなる権利も主張しない)で公開していることで有名なメトロポリタン美術館などがそうです。しかし、日本では、画像のオープンアクセス化を推進する美術館がほとんどないため、コモンズへのインポートもまったく行われていないのが現状です。

加えて、Wikimedia Commons および Wikipedia が非公式のコンテンツであるからこそ、美術全集が美術館の枠を飛び越えたように、一つのプラットフォームのうちに体系的な美術史に欠かせない作品群を提示することが可能になるという側面があります。個人蔵や団体所蔵の作品がオープン化されていなくとも、個人で図録などからスキャンした作品画像を適切なライセンスをもとにアップロードさえすれば誰でも画像ファイルを活用できるようになるからです。

これは美術全集という紙媒体では読者が作品を享受するという一方的な情報の流通であったのが、ネット上でプラットフォームが整備されることで、ユーザーが作品と出会うだけでなく、それを利用するという双方向的な関係を結ぶという点で新たな展開であると私は考えています。美術になかなかアクセスするのが難しい人々が、ネットを介して作品と出会い、それを活用するという時代に、美術全集とか、美術館というアナロジーはすこし窮屈です。

日本美術史の体系とその経験

ネット上に画像がみつからない美術品のなんと多いことか。小学館の『日本美術全集』に選ばれている作品で探してみても、ネット上に画像が全く見つからないことが多々あります。

私はそんな時は、書籍からスキャンしてデジタル化し、Wikimedia Commons にアップロードしていくというとても地味な作業をしています。

もちろん所蔵者がデジタルアーカイブを作ったり登録したりして、画像ファイルなどのデータをオープンアクセス化してくれるのが一番いいけど、そればかり期待していてはいつまでたっても環境は良くならない。ならば個人でできることをやるしかないのではないかと思ったからです。

これは個人で手軽にできることでもあるので、Wikimedia Commons および Wikipedia における日本美術のデジタル画像を充実させていくプロジェクトとして、今後アップロードのやり方を解説する記事などを書いていこうと思います。

このプロジェクトは、最初、Twitter(現在のX)で私が運営する日本美術史bot(APIの仕様変更に伴って現在停止を余儀なくされています)と、このnoteで美術著作権について深掘りする連載などと連動するものとして私が構想し、実践してきたことです。

今回、冒頭に言及したように、過去の雑誌に載っている粗末なモノクロ写真図版を、その時代の経験を表象するものとして扱うという視点を新たに導入しようと思っています。日本美術史という体系だけを構築するのではなく、それを経験してきたという時代の結節点として、図版や画像ファイルに歴史的価値を認めていくということをしていきたい。そうでなければ、日本美術全集で示された作品群をただネット上に移動させるだけの無味乾燥なものになってしまうでしょう。

いうなれば、日本美術史をどのように人々が受容してきたのか、その経験を図版や画像ファイルなどのイメージソースから歴史化する作業といえるでしょう。加えて、パブリックドメインとなった作品をちゃんとそのように扱い、ユーザーが作品をできるだけ自由に利用できる環境を作っていくことで、新しい受容の在り方をつくりだしていくというのが理想であると思います。


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