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仏教について学んだら仏教美術がよくわからなくなってきた

日本美術の特に前半を占める仏教美術について、これまでnoteでもたびたび取り上げてきた。仏教を信仰しているわけでもないのにどうして仏像を拝見しに寺に詣でるのか。それはその時代の高度な精神性に触れるためだと言ってみたり。仏像のデジタル画像はなんで使っちゃいけないの?という疑問から、仏像写真の歴史についてまとめたり。

 しかし、まだまだ仏教美術はわからない。それを受容する仕方がまだよくわかってない気がしてならない。どうすれば腑に落ちるやり方で、仏教美術とほんとうの意味で出会えるのだろうか。謎は残されたままである。

 こうした美術史の関心とは別に、個人的な動機から仏教について調べるようになってきた。仏教はそれ自体、面白い思想体系であり、ブッダの教えには魅かれるものがある。

 ところで、仏教には大きく分けて上座部仏教と大乗仏教がある。ブッダの教えを色濃く受け継いでいるのが上座部で、個人の修行を重視し、悟りの境地を目指す。大乗仏教は、そこから別れて、衆生の救済という道を重視し、それを悟りの実践と捉える。拙い知識ながらざっくり説明すると、こんな感じだろう。この両者は、全く別の宗教と考えるほうが理解しやすいし、同じ大乗、上座部の中でもさまざまなグラデーションがあり、信仰の在り方も全然違っている。

 日本の仏教は、大乗仏教を大陸から輸入するかたちで発展していった。密教のような呪術的な祈祷を行う霊能力が政権と結びついて重用されている様子は、少し前にやっていた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれていてイメージしやすい。政敵を呪詛したり、戦に勝つことを祈ったり、超常現象を夢想して必死にお経を唱える様は、どこか滑稽でもあり(フェクションとしてある程度実現してみせるから余計に)、当時の権力者たちから民衆に至るまで、こんなものを真面目に信じていたとはにわかに信じがたいというショックも同時に受ける。

 近代以降の人間にとって馴染みやすいのは上座部仏教のほうで、ブッダが説いた教えに近いと推定されている教説である。日本でも、最近になって初期の仏典の翻訳が刊行されていて触れやすくなっている。大乗仏教は、とくに近代以降、その教説がブッダが説いたものとはまったく異なっているという大乗非仏説論に晒され、その影響力が削がれてしまったようだ。

 という事情を全く知らないまま、とりあえずブッダは何を説いた人なのかを知ろうとすると、自然に初期仏典やその解説をまず読むことになり、そうすると日本が伝統化してきた大乗仏教については、その意義がますますわかりにくいという状態になってしまうわけだ。私もその道をたどって今に至る。

 そうすると、大乗仏教を前提にその視覚化を試みてきた仏教美術の歴史もその意義がわかりにくいものになってしまう。ブッダのほんらいの教えとされるものとはあきらかに異なり、矛盾したものをみせられても、信仰心に繋がらないし、逆に不可思議な慣習に困惑さえするようになる。

 では、仏教美術へと至る他の回路はないだろうか。仏教美術が身近な物として感じられ、それを丁重に扱う必要を感じる道理。それが大乗仏教の教説のありがたさや信憑性に依存しないかたちで成り立つ回路があるとすれば、それは日本のナショナリズムではないか。

 仏教美術は廃仏毀釈の危機を通過して、美術史の重要なマスターピースになることで、ナショナルな意味合いをその身にまとわせることになった。国民国家としての体裁を整えようとする政治と、その役に立つという意義を見出された宗教、美術が提供する価値中立を装った美学がここにイデオロギーとして一体化したのだった。

 仏教徒としてでなく、日本人として、仏教美術と独自につながる回路がまだ残されているかもしれない。



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