「無責任」発言で顧みる、所有権の話し
ようやく、一つ目の書評書き終えたマイトです。
書評のルールや文章のクセなど、たくさん教わりいい勉強になりました。
ありがとうございます。
というわけで、肩の荷がおりたところで(苦笑)書きそびれていたことを書きたいと思います。
ズバリ、「嵐」活動休止記者会見で物議を醸し出した「無責任」発言について。
ご存じの通り、人気グループ「嵐」が2020年末をもって活動休止を発表。
記者会見では、メンバーの誠実な対応や機転を利かせた発言が話題となりましたが、その中で会場の雰囲気を一転させたのがこの言葉。
「無責任」
それまで和気藹々とした表情で会見に臨んでいた「嵐」メンバーの表情が強ばったのが見て取れる数秒間。メンバーが上手く流れを変えていましたが、会見後の報道では、「無責任」という言葉のチョイスに対して、批判が多かったように思います。
聞くところによると、この質問を投げかけた記者は、ファンの気持ちを代弁したつもりだったようです。
では、この代弁されたファンの気持ちとはどんなものだったのでしょうか?
もし、(「無責任」という言葉のチョイスはともかく)この記者と同様の質問をファンがしたかったとしたら、それは「嵐は私たちのものだ」という『所有権』の思いではないかと、僕は感じました。
記者会見後の報道で、嵐にお金や時間をつぎ込んだファンのインタビューが流れていました。
「私たちの気持ちは?」とテレビに問いかけていた方もいました。
物理的なものだけではなく、好きという思いを注ぎ込み、「誰よりも5人を応援している」「自分たちが「嵐」を支えている」という思い入れが高まっている方々が、きっとテレビの先にたくさんいるのだと思います。
そう、「嵐」はメンバーのものでもあり、ファンのものでもある(と感じている方々がいる)のです。
“だから、相談も無しに、同意もなく、応援し続けているファンがいるのに、活動休止を決めるなんて「無責任」じゃないか”
あの時の「無責任」発言の裏の思いまで(実際は分かりませんが)汲み取ってみると、「自分たちが応援してきた「嵐」だ」というファンの強い思いがある(と想定した)が故の質問だったのかなあ、と記者会見見て感じた次第です。
世に出した人間がいても、送り出した瞬間に、別の人のものになっているかもしれない。
書評もある意味、似たようなところがあるのかもしれませんね。
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