小鬼

生きているという強い実感が欲しい。
私の往年の夢である。

私はこれを得たいが為に、ウクライナに義勇軍として参加してやろうかと目論んだこともある。
この人生、私は逃げに徹してきた。

勉強に、運動に,受験と恋愛、人付き合いから仕事まで、一から百まで漏らすことなく20年このスタンスに生きてきた。

15年目までは罪悪感や喪失感が私を襲ったが、20年ともなると心身ともに、ほぼオートマティックに逃走の体勢を取り、コンマ数秒で走り出すようになる。

面倒を嗅ぎ取る高く大きなワシ鼻に、責任の足音を聞き取るよう発達した外耳、隠れやすい小さな体躯、夜に生く醜い眼差し。
鏡を見るたびに、実際の私の姿見は勇者や強い魔物を恐れるゴブリンを想起させる。

スライムもドラゴンもアンデッドだって何処かしら誰かしら愛されているものだが、ゴブリンはいつだって醜く浅ましく貧弱な、まさしく本物のモンスターだ。

おおよそ全ての私小説やエッセイは、これから何らかの発展を遂げたりするが、これはそうでない。 
人の人生の数奇さには限りがあって、私のモノはその全てのイベントが「ゴブリンへの道」であっただけなのだ。

ここまで来ると、もはや「逃げ」は私の意識を遥かに超えた高みへと成り上がった。
自由意志がどれだけ無力であるか常々思い知る。
危機が迫った時、ヒトの身体は自らの脳を介す事なく迅速に回避を実行する。
鍋肌を触り、パッと手を引いてから、触った指をもう片方の手で押さえながら、「熱かった!」と思う。実感は体験より遅れてくる。

ゴブリンは、何でもない日々をそう生きる。
「頑張る」「奮い立たせる」「無理をする」「努力する」「責任を負う」「ツケを払う」「継続する」「夢を持つ」「憧れを抱く」から、ゴブリンは電光石火で命を守る。

今日もゴブリンは責務から逃げて日々を生きている。

多分あなたの身の回りにも潜んでいる。

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