僕が人にキレない理由
タイトル詐欺で申し訳ないが、僕は他人にキレないわけではない。ただ、他人にキレないようにしているのは事実だ。別に周りに嫌われたくないとか、良い人でありたいというわけではなく。人にキレるという事が自分のエゴでしかないと思っているからだ。他人が常識はずれなことをしているとき、多かれ少なかれストレスを感じるであろう。しかし、そのストレスは所詮自分の思い通りに(無意識に思っているケースも含む)いっていないことへのストレスでしかない。なんであの人こんなこともできないのだろうとか、こんなことをしてしまうんだろうとかは自分の想定外の事態にイライラしているだけである。それに対してキレるのは、社会が悪いとか、岸田が悪いとかの愚痴と同等だと思う。
ただ、よくある意見として、僕は私は、その人の将来のために言ってあげているんだというのをよく聞く。よほどの奇特なお方なのだろう。私はそこまで自分の常識が正しいという自信がない。そもそも、常識なんてものは人間がその時代時代に作っていくもので、固定化されたものではないはずだ。よほど、常識のアップデートに日々勤しんでいるのであろう。しかし、もし常識のアップデートに勤しんでいるのであれば、一見非常識な行動にも目を配り、批判する前に自分の中で途方もない検討をする必要がある。その場でキレるなんてことはよほどの脳のスペックがないとできないだろう。私にはできない。
話が堂々巡りになってしまったが、言いたいことは、キレる行為は恣意的なものだという事だ。もし、生きるモラルが存在したとして、それを他人に押し付けることは恣意的でその人がこういう風になってほしいというエゴでしかない。エゴを批判しているわけではない。ただ、人のために怒るということは矛盾であり、正しくは自分が相手に変わってほしいというエゴが怒るという行為を掻き立てているのだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?