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大谷翔平の二刀流物語を妻に語る。中編

前編からの続きです。

ア・リーグかナ・リーグか、それが問題だ

2017年のシーズンオフ、大谷さんがメジャーリーグ球団への移籍の意思を固めたとき、ひとつの大きな決断が必要となりました。それは、アメリカン・リーグ(以下、ア・リーグ)とナショナル・リーグ(以下、ナ・リーグ)のどちらに属する球団に移籍するかということです。前に書いたとおり、ア・リーグにはDH制度があり、ナ・リーグにはそれがありません。大谷選手が二刀流を実現するときに想定されたのは、以下の引用のとおりです。

★ア・リーグの球団の場合(DH制あり)
・投手で出場する試合は投げるだけで、打席はDHの選手に任せる。
・投手で出場しない試合は、DHとして打席に立つ。

★ナ・リーグの球団の場合(DH制なし)
・投手で出場する試合は、打席に立つ。
・投手で出場しない試合は、代打として打席に立つ。

理論的には、どちらのリーグの場合でも、投手で出場しない試合に、野手として出場することも出来ます。しかしながら、メジャーリーグは、投手の登板間隔が日本プロ野球よりも二日くらい短く設定されています。ひとたび先発投手として投げると、その五日後にふたたびマウンドに立つことになるのです(これを中四日のローテーションと呼びます)。そして、年間の試合数は、メジャーリーグの方がおよそ20試合も多く開催されます。北米大陸を広範囲に移動することによる疲れや時差に悩まされながら、一年間に162試合という長丁場を投手と野手の両方で出場しながら戦い抜くのは、現実的ではないと大方のメジャー球団は考えていました。また、守備のとき全力疾走をしたり、全力投球をしたりする機会が野手には多々あります。このように身体を酷使し続ければ、けがの危険性がとても高まることも懸念されていました。本人は明言をしていませんが、さすがのスーパーマンの大谷さんでもこの選択肢は除外せざるを得なかったようです。

そうして、ア・リーグのエンゼルスを選んだ

メジャーリーグへの移籍を表明した大谷さんに、多くの球団が獲得の意思を示しました。押しも押されもせぬ日本の宝ですから、これは当然のことと言えるでしょう。そして、詳細は省きますが、これまでに海を渡った日本人選手とは少し異なる移籍方法・条件になったため、大谷さんはメジャーリーグの全30球団へプレゼンテーションすることを許されました。そして、ここからが大谷さんのすごいところですが、彼は、このプレゼンテーションで、自身の獲得を希望する球団に対して、七項目にわたる質問状への回答を要請したのです。その質問の中には「今後の育成方法」、「投手、打者としてのそれぞれの評価」や「起用プラン」といった“二刀流実現”に対する球団側の本気度をただすものもありました。契約交渉の代理人(ネズ・バレロ氏)がいたとはいえ、当時23歳の青年がこれだけ真剣に自分の進路を検討していたことに、私は驚きを禁じ得ません。そして、獲得をめざす多くの球団から、大谷さんのもとにラブコールが舞い込みました(参考資料①)。

その後、移籍先の候補は七球団に絞り込まれました。その内訳が、ア・リーグ三球団、ナ・リーグ四球団だったことを考えると、この時点では上に書いた二種類の「二刀流」の実現方法を、両方とも検討していたと言えそうです。なお、この第一次選考では、ヤンキースやレッドソックスなどの名門球団すら落選しています。2017年11月29日に質問状を送付してから十日あまりが過ぎた12月9日、ついに大谷選手はロサンゼルス・エンゼルスと契約合意の発表をするにいたりました。エンゼルスを選んだ理由について、大谷選手は「『なぜエンゼルスだったのか』より、『どうエンゼルスになじんでいくか』の方が大事」と返したり、「直感のようなもの」と答えたりするにとどめ、詳しいことは語りませんでした。この回答は、落選した球団たちに敬意を払ってその優劣を語らないという、大谷さんの謙虚な姿勢の表れだと、私は思っています。だとすれば、こういうところが、大谷さんがファンをしびれさせる魅力だと言えるでしょう。

エンゼルスを選んだ決め手はなんだったのか?

それでは、大谷さんがエンゼルスを選択した決め手は、実際なんだったのでしょう。これにはいくつかの予想が挙げられています。①最終候補の7球団が西海岸沿いを中心としていたため、温暖で暮らしやすい都市を選んだのではないか②先発投手としての二刀流起用を希望していたので、リリーフ起用の可能性がある球団は除外したのではないか③最終的に打者としても先発起用を希望したためナ•リーグ候補は除外し、ア•リーグ候補の中からもっとも条件の合う球団を選択したのではないかなどです。それ以外にも、ビリー・エプラーGMやマイク・ソーシア監督(当時)、球団スタッフとの関係性も判断基準のひとつとして考えられます。いずれにしても、どれかひとつの理由ではなく、さまざまな事情を総合的に判断した結果と言えるでしょう。大谷さん自身が、「直感のようなもの」と答えたのはこのためかもしれません。

大谷さんの大ファンであり、メジャーリーグでの二刀流実現を応援する、私個人の感想としては、エンゼルスを選んで良かったと思います。エンゼルスは気候の温暖な土地にあり、必ずしも優勝を義務づけられた常勝軍団ではありません。そうして、大谷さんの投打双方の力を必要としていました。あの頃、先発投手陣が足らず、かつ重量打線に定評のあった東海岸のヤンキースに入団していたら、大谷さんは投手起用に専念させられた可能性があります。また、ファンや地元メディアが手厳しくて辛辣なヤンキースだと、当時23歳だったこの若者にとってあまりにストレスフルだったかもしれません。実際に、当初は大谷さんを獲得する最有力候補と報じられていたヤンキースの地元ニューヨーク・ポスト紙は、選に漏れるやいなや、「大谷翔平、ヤンキースを断る」との見出しで速報を打ち、大谷さんの名前の最初にNを入れ「ノータニ(No-htani)」と表現しました。また、同じく地元紙のニューヨーク・デイリーニュース紙は、大谷さんが大きく掲載された翌日の誌面の写真をツィッターで公開し、「なんて臆病者だ!日本のスターはヤンキースを鼻であしらい、大きな街を恐れている」と悪しざまに罵りました。他方、先発投手陣が充実していた西海岸のドジャースに入っていたらどうだったでしょう。大谷さんは原則的には外野手で出場し、試合の後半に救援登板するという起用法もじゅうぶんに有り得たと思います。

どの球団でもやれたはず。そして、愛されたはず

ここまで振り返って来て、ひとつ言えることがあります。それは、大谷さんは野球の実力はもとより、その礼儀正しく謙虚な性格と、優しくひたむきな人柄から、どの地区のどの球団に入団していたとしても、チームメイトや地元ファン、球団関係者に愛されただろうということです。

ずいぶん長くなってしまいそうなので、次回へ続きます。
ここまで読んでいただき、感謝申し上げます。
次回の後編で最終回です。


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