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大谷翔平の二刀流物語を妻に語る。前編

大谷翔平選手が投打に大活躍していますね。これについて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

野球に興味は無いが、大谷のファンである私の妻

私はメジャーリーグの大ファンです。大谷さんが活躍した日には、そのすごさを妻に熱っぽく語ります。しかし、妻が大谷さんに対して抱くのは「日本の礼儀正しい好青年が、海を渡って米国で活躍しているなんて素晴らしい。こんな息子がいたら、さぞや幸せでしょうに」というほどの、昭和生まれの母親らしい感慨だけです。野球のことは詳しくないけれど、好青年である大谷さんのファンなのだそうです。そこで、妻に大谷さんの二刀流の破天荒な物語を出来るだけ分かりやすく説明してみました。それによって、私自身も大谷さんの偉大さを再認識したかったからです。実際は、妻にたびたび質問を差し挟まれましたが、それは割愛。さらに、読むに堪えるよう、文章を整えました。

子どものころから、エースで四番

プロ野球には、少年野球から高校野球くらいまで、“エースで四番打者”だったという選手が数多くいます。これが今に言う「二刀流」です。彼らは野球を職業にするほどですから、幼少期より他に抜きん出る運動センス、身体能力、そして筋骨を有しており、チームの圧倒的な大黒柱なのも当然でしょう。なかには甲子園出場の常連校にいながら、「エースで、四番打者で、キャプテン」という八面六臂の活躍をする選手もいるほどです。大谷さんも高校三年生のときは、エースで四番打者。高校通算で56本の本塁打を記録しています。ところが、通常は高校を卒業して次の舞台(大学野球・社会人野球・プロ野球)へ登ると、独りで投打両方の役割をこなすことはほとんど困難になります。その上のステージには、全国から集まってきた“地元のスーパーヒーロー”たちがひしめいているからです。独りで投打の中心を担ってきた二刀流の選手たちも、生き残るために、投手か野手かのどちらかに専念することになります。投げることと打つことは、練習方法から専門技術まで、すべてが根本的に異なるからです。

高校を卒業すると、投手と打者は分業になる

こうして、高校野球の上のステージになると、一般的に投手と打者はまったく異なる仕事とされます。大学野球、社会人野球、そしてプロ野球では、DH(Designated Hitter)という制度があり、投手は投げる専門で打席に立たず、代わりに投手の打席のところでは打つ専門の選手が打撃をすることが認められています。正確に言うと、大学野球は東京六大学野球連盟など一部のリーグではDH制が認められていません。また、日本プロ野球はパシフィック•リーグのみ、メジャーリーグではアメリカン・リーグのみで同制度が認められています。そして、DH制が認められていないリーグにおいては、投手は打撃の能力をチームから期待されていません。攻撃は事実上、九人のメンバーのうちの八人で行うことになっています。ふだん打撃練習をしないセントラル・リーグの投手が、試合で安打を打つのは難しく、2020年に投手うちでもっとも高かった打率は、遠藤淳志投手(広島)の1割8分8厘(32打数6安打)でした。野手の打率には遠く及びませんが、投手としては素晴らしい数字です。他方、プロの世界では、投手の分業制が進み、先発、中継ぎ、抑えというように役割分担がより戦略的になっていきます。とくに、投球数を厳格に制御している昨今のメジャーリーグでは、ひとりの投手が一試合、九イニングを投げ切るということがきわめて少なくなっています。

その昔、二刀流の選手は存在した

このように分業制の進んだ現代野球では、二刀流は至難の業となりました。しかし、年間の試合数をはじめ、現代とは多くの条件が異なる戦前から戦後にかけての頃には、プロ野球でも二刀流の選手は存在しました。日本では、藤村富美男、藤本英雄、景浦將、のちに「打撃の神様」と称された川上哲治などです。米国では、「野球の神様」と呼ばれたベーブ・ルース、イチロー選手が記録を更新するまで84年間にわたって“シーズン最多安打記録”を保持したジョージ・シスラーなどが二刀流として有名です。これらの日米の選手は、誰しもが伝説的な選手です。平成に生まれた大谷さんが、日米のレジェンドたちが活躍した時代から少なくとも60年以上の時を経て、現代の野球環境の中、日本プロ野球、米国メジャーリーグを舞台に二刀流を続けているのは奇跡的なことだと言えましょう。

そして、大谷さんが海を渡ってメジャーリーグで二刀流に挑戦することを決意したのは2017年のシーズンオフ。彼が23歳のときでした。

ずいぶん長くなってしまいそうなので、次回へ続きます。
ここまで読んでいただき、有難う御座いました。


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