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俺ガイル ~差異と反復の文学~

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ミンミンミ~~~ン

多忙だった8月が過ぎ,それでもまだ蝉が鳴きしきる9月初頭,ベッドの上で私はふと思った。

「………………そうだ,俺ガイルを見よう!」

そして,その後はみなさんご存じの通り「こいついっつも俺ガイルのことつぶやいてんな」と思わせても仕方がないほどに日常のほぼすべての時間を俺ガイルに費やしたのである。
ゆえに
「こんだけ没頭したならnoteのひとつくらい書くかぁ」
そう思い,パソコンと向かい合っている現状が今回の動機に至るまでの過程である。

とはいえ,どんな内容にすればいいのか。
というのも,TLに俺ガイラーと思しき人が5人ほどしかいないのにニッチな内容を書くのはどうなのか(ニッチ以前にそもそもアニメしか見てないだろ)
また,初心者向けの内容ならネットの海に無限に転がっており,わざわざ自分が同じ内容を書く意味もない。

そんなこんなでずっと悩んでいたところ,ある日突然おぼろげながら(かつ謎の頭痛とともに)浮かんできたのです,「120」という数字が。そして…

「そうだ,こんなに俺ガイルに没頭できたのは脳死で見れたからだ!!!」

つまるところこういうことである。

センター国語120点のbiggame410にそもそも物語を理解する力などあるはずもなく,ただ作品のコミカルさにキャッキャしていただけだったのだ。
※2周目で物語も理解しました。

そうときたら書く内容は明白である。
自分が俺ガイルから感じた最も強い印象はそのコミカルさであり,この要素を示すことが初心者への入り口にもなり,自分が書く意味もあるのだと。


というわけで本noteの主要目的は俺ガイルのコミカル要素を示すことなのだが,そのために

①俺ガイルにおいて自分が感じた笑いの定義を行う。
②③俺ガイルにおいてはどのキャラクターがそのコミカル要素を生み出すキーパーソンであるのかを示す。
④まとめ

という構成で本noteを書き進めていくこととしよう。
では,長い冒頭となってしまったが早速本題に入っていく。

俺ガイル ~差異と反復の文学~



①笑いにおける差異の反復

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」公式ホームページ より

まずコミカル要素を示そうにも俺ガイルにおいてはどのように笑いのシステムが作動しているのかを示す必要があるだろう。
しかし,私のようなお笑い無識がいきなり笑いについて定義したとしても

「本場のお笑いはそんなものじゃないぞ」
「仲良し一人組にお笑いが分かるわけないだろ」

などと有識者の方々から厳しいご意見が噴出することは必然である。

そのようなお声に耳を傾けるためにもここは歴史上の人物の権威をお借りすることでその無識さを埋めることとした。

では本題の笑いのシステムを解明するために次の一節を見てみよう。

あらかじめ予想されたパターンによって生じていた緊張が,突然現れた〔…〕二者の対比によって解消され,その結果笑いが起こる。

サンダー・L・ギルマン『ニーチェとパロディ』34頁。


(………つまりどういうことだってばよ?)

しかし分からないなりにも本と2分間ほど激戦を繰り広げた末に,私は上の一節を次のように解釈することに成功した。

「予想していた展開とは別の展開が出現した時に生じるギャップが緊張していた心に安堵を与え,その生理的現象が笑いとなって現れる」

すると私が感じた俺ガイルにおける笑いのシステムとは……

「展開同士の間に差異が生じており,さらに物語が進むにつれてその差異が複数の差異に変化しながら反復するようになる」

というシステムなのではないだろうか。

ちなみに,私たちは漫画にしろアニメ・ドラマにしろ展開同士の間で起きる差異に笑うことはよくあるが,常に同じ差異が生じてくるのならば次第に私たちは予想ができるようになり,飽きが生じてはこないだろうか(そりゃ新鮮味がない全く同じ展開だとつまんないですし)。

しかし俺ガイルでは,展開間における差異がアニメ全37話にわたって反復され続けるなかで変化されており,ゆえにbiggame410の理解力でもそのコミカル要素を頭空っぽにしながら楽しみ続けることができたのである。

そして,このシステムを生み出すキーパーソンとなるキャラが二人存在していると私は考えるのであり,次の章では比企谷八幡(以下比企谷)が果たす役割について見ていくこととする。

②比企谷八幡

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」公式ホームページ より

本章では俺ガイルのコミカル要素における比企谷の役割について見ていくが,その前に俺ガイルとはどのような物語かを簡単に説明する。

俺ガイルとは,ひねくれ者かつ仲良し一人組の比企谷八幡が「奉仕部」という困った人をお手伝いする更生施設部活にぶち込まれ,そこで雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣とともに活動していく青春ラブコメディである。


というようにざっくりとはこのような物語であり,作中の出来事は比企谷の視点(心の声)によって語られる。
そして,上記からもうかがえるように主人公の比企谷八幡という男を一言で表すとアンソニーカス」であり,その言動でたびたび周りの人間をドン引かせている。
※特にとある人物を全校生徒の前で晒し上げることになった一件については流石のbiggame410も「いかんでしょ」とお気持ち表明せざるをえなかったほどである。
+ついでに言うとロリコンでもある。

そして
そんな彼を中心とした物語は基本的に

①奉仕部が受けた依頼をドン引き手法で比企谷が解決しようとする。
  ↓
②周りの人間が比企谷をボロクソにつっこみ返す。
  ↓
③対する比企谷もドヤ顔で屁理屈を並べて応答する。


といった展開が反復するように進行していくが注目すべき点は③であり,比企谷とその相手によってやり取りが妙に変化していくという特徴がある。

なぜならこの比企谷八幡という男,休み時間は机に突っ伏しながら人間を洞察するなど「相手によって自分の立場をわきまえて行動する」
という陰キャ特有の慎重さだけは誰よりも持ち合わせているからである。

(実際に他人の心理を読むことだけは唯一認められている)

すると,比企谷の言動自体はかろうじて周りとの同調性を保って行われているにもかかわらず,明らかにその心の声(ひねくれた本心,たまにロリコン)との間には差異が生じてしまっているのである。
※一応比企谷は国語のテストだけは学年3位なだけあり,ひねくれた性格と相まって他キャラに対する印象やそのワードセンスはかなりユニークである。

そして,この言動と心情の間で生じる差異こそが先の説明のような笑いのシステムを作動させているのである。
(特に以下の二人とのやり取りではその差異が顕著に現れており,作中屈指の人気シーンともいっても過言ではない)

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」公式ホームページ より
あ
TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」公式ホームページ より

また,陰キャゆえに相手に応じて言動を変えることで言動と心の声の差異のパターンはやり取りをするキャラによって様々に変化する(言動と心の声がかけ離れていたり,心の声がそのまま言動になっていたり)。
すると,結果として差異自体が差異をもって(変化して)反復するという飽きることのないシステムが起動するのである。

つまり比企谷の役割とは,差異の量を増やすだけでなく質の変化をも生み出していると言い換えられるだろう。

以上のように,比企谷のひねくれた性格と陰キャ体質がしっかりと表現されることによって笑いのシステムが起動するということが分かった。

しかし,比企谷とはいえどワンピースやナルトのように無限にキャラが登場するわけではないため差異の反復にはどうしてもマンネリが訪れてしまう。
そしてこの困難を解消する役割を果たすのが一色いろは(以下一色)であり,次章ではこの人物について見ていくこととする。

③一色いろは

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」公式ホームページ より

一色いろはとは「俺ガイル。続」から登場する人物であり,学年では八幡の一つ下にあたる。ネタバレの恐れがあるから詳しくは言えないが,物語における彼女の役割は奉仕部と学校外の人間を繋ぐことである(だってヒキタニくんが自分から積極的に外部の人間と接点をもつわけがないので)。

ここで重要なのは,前章の最後でキャラ数の限界によって予期される展開がマンネリ化してしまうという説明をしたが,学校外の人間との交流によりこれまで以上に様々なパターンの展開が生まれるということである。

さらに一色最大の役割とは,比企谷が生み出していた笑いのシステムを一色も同じように生み出すことができることなのである。


というのも,この一色いろはという人間はビッチ,小悪魔,可愛い後輩など様々な性質を持っており比企谷と同じく「えぇ…」となる言動がかなり見受けられる(つまり比企谷同様にカス属性がある)。
さらに,空気を読む世渡り上手な面も若干比企谷と似ており,相手に合わせてかなり言動が変化する。

↓一色による恐喝の事情聴取を受けている場面(陽キャ怖すぎんよ~)

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」公式ホームページ より

しかし,青春期の何をしても正当化される陽キャという無敵のステータスを有しており,本心を誤魔化してかろうじて周りと同調していた比企谷とは違ってもろに本心が言動と共に表現されるという両者の間の相違点が出現する(そもそも心情は主人公の比企谷しか表現されないからね)。

すると比企谷においては
「本心」と「言動」の間で生じる差異がコミカルな要素を生み出されていたものの,一色の場合は
「言動」と「言動」の間で生じる差異がコミカルな要素(差異やら反復だの言ってきたけど,これもうただのギャップ萌えだろ)が生み出されるのである。

つまり,物語の中に2種類の差異形態が並行して反復しているということであり,極限までギャップのマンネリ化を防いでくれているのである。
※ちなみに雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣は良くも悪くも他者と平等に接するのでその分比企谷と一色による人付き合いの変化はかなり顕著に現れる。


さらに一色の役割はこれにとどまるものではないのである。

少しネタバレにはなるが,物語後半になるにつれてシリアスな展開が続き(だいたい主要キャラの三角関係のせい),見ていると段々どんよりとした気持ちに悩まされた俺ガイラー諸君も多いことだろう。

しかし,第3のヒロインでもある一色がその三角関係に持ち前の明るさで割って入ることでそのシリアスさが薄れ,再度コメディ路線へと場の空気が一変するのである。

つまり,一色の登場によって「シリアス」「コメディ」という物語の空気全体の差異をも生み出しているというわけである。


この章では一色いろはの役割について見てきたが,彼女の存在なくしては俺ガイルのラブコメ要素は成立していなかったと言っても過言ではないだろう。
言わば,比企谷が量と質の両面で差異を生み出したのに対して一色はより広い枠組みとして差異形態の差異をも生み出したといえるだろう。
つまり,ここに差異の重層的反復がなされ,笑いのシステム全体が起動するに至るのである。

以上が,比企谷八幡と一色いろはこそが俺ガイルにおけるコミカル要素を生み出したキーパーソンと言うことができる所以なのである。

④まとめ

これまでnote全体を通して俺ガイルのコミカル要素に焦点を当ててきた。
しかし,俺ガイルの魅力とはそれだけでなく複雑で味わい深いストーリー性もその一つであろう。またもちろん,作品の中身だけではなくキャラクターデザインや声優の方々の演技にもその魅力は存在しているのである。

そして,そのようなたくさんの要素の中からどの要素に魅力を感じるのかは俺ガイルという作品に触れる者次第であり,それこそ俺ガイルは私たちに個性という差異を生み出しているといえるのだろう。


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