髪にまつわるエトセトラ

去年の暮れ、髪を伸ばすことを決めた。


たいした理由はない。ちょっと気分転換に、少しだけ伸ばしてもいいかなと思っただけ。
だけどそう思えたことは、わたしの中でとてもおおきな変化だった。

自分の気持ちとは真逆に、髪を伸ばしたことが3回ある。
18歳と20歳、22歳のとき。
高校の卒業式と、成人式、大学の卒業式があった。

わたしが通っていた高校は制服がなくて、
卒業式では女性はドレスを着るという風習があった。
成人式と大学の卒業式は言わずもがな、振袖と袴を着る機会がある。
その通過儀礼のようなイベントがある度に、母親に髪を伸ばしなさいと言われていたのだ。

当時のわたしはモデル、女優、ミュージシャンなど、「素敵だな」と思う人は決まってショートヘアで、短い髪に並々ならぬ憧れを抱いていた。
うまく言葉にはできないが、それが似合う人に100%心惹かれたし、自分もそうありたいと思っていたのだ。


その気持ちが強すぎたせいか、ショートヘアの方が自分らしいと思っていたし、長い髪の自分はぜんぜん好きじゃなかった。

その一方で、母からのこの言いつけである。

短い髪のままがいいと何度言っても聞く耳を持ってくれない。
女の子なんだからアップスタイルにして華やかな感じにしないと、というのが向こうの言い分である。

そのアップスタイルが嫌なんだってば。
華やかって言うけど、それはわたしの思う華やかと違う。
どうして型通りの「らしさ」に沿わなきゃいけないの?
だいたい女の子だからって何?
好きで女に生まれたわけじゃないのに?

言いたいことはたくさんあったけど、当時お世話になっていた美容師さんとは家族ぐるみの付き合いだったこともあって(母もわたしもその人に切ってもらっていた)、
けっきょく母に逆らう術もなく髪を伸ばし続けた。
切らなければ伸びていくものだから、ショートヘアを維持するより簡単なことだったけれど、日に日に伸びていく髪が苦痛だった。

(大学の卒業式の時はめちゃくちゃ闘って顎まで伸ばせばOK、という折衷案が採用されたが、別に喜べることではなかった。わたしにとったら顎まで伸びたらほぼロングじゃ。)

思えば、大学を卒業して髪を切ってからいままでずっと闘ってきたのかもしれない。
母と、更にはその向こう側にある「女らしさ」に対して。

年月が解決してくれたのか、自分のことを自分で決められる力を身につけたからなのかはわからないけれど
自然と「髪のばそっかな」と思えたことは、いい意味で自分でも想像していなかった変化だった。

肩の力が抜けて身軽になったような気がする。
丸くなったとも言えるか。
いい変化だと受け止めている自分も嫌いじゃない。

時間を味方につけて、なりたい自分になるために日々を積み重ねていくことがこんなに面白いこととは知らなかった。

歳をとるってもしかしたらめちゃくちゃ楽しいことなのかもしれない。


まあ、伸ばすといっても襟足だけなんですけど。

どこまで伸ばせるかな。
飽きるまでやってみようと思う。
長い髪のわたしでも、きっとサイコーにわたしらしくなれるはず!



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