タイトルは最後に付ける、ってどの教授が言ってたっけ?

 今日。12月25日。クリスマスってあんまり好きじゃなかった、昔は。兄の誕生日で、ついでにわたしもケーキを食べるような。特にキリスト教信者ってわけでもないし、街がキラキラしてたのしいを演出している感がつくりものっぽくて。

 でも、ものは捉えようだな、と思えるようになった。友達は少ないし、仲良し家族でもない。人付き合いは上手じゃなくて、自分の想いを伝えるのは恥ずかしくて素直になれない。いや、なれなかった。

 今年。2019年(令和元年。仕事上は西暦派)は平凡なわたしの人生の中でも激動だったんだと思う。人との距離感の取り方がおかしくなって、親友に叱られたこともあった。どん底も経験した気がする。自分の存在の意味がわからなくなった。我思う、ゆえに我あり―デカルトさん、それどういうこと?問うても答えは得られないままだと絶望した。自分で自分を傷つけたし、人も傷つけた。もう這い上がれない、と思った。

 けどね、人生捨てたもんじゃない。結局救ってくれたのは人だった。共通点がある、好きなことの話ができる、波長が合う、みたいなことは人付き合いにおいてとても大事。それから、ほかにもある。かけてくれる言葉が、いっしょにいる空気が、安心すること。

 人に好かれるために、自分を取り繕ってしまうことがある。「しまう」。うん、後悔するんです。自信がなかったけど、そんなことしなくていいんだと思えるようになった。爆発的にヒットした映画じゃないけど、ありのままでいいんだよって諭してくれた。Let it go.  Lass jetzt los.

 今回はクリスマスに感謝できた。都合がいいようだけど、イベントって悪くない(人生で初めてクラムチャウダーつくったよ。あさりの砂抜き初体験)。お兄さんも32歳おめでとう(ついで感、すごい)。いつか、本場のWeihnachtenも体感したいね。キリスト降誕。救世主。メシア。こういうときだけキリスト教を取り上げること、お赦しください。アーメン。

 来年。2020年(令和2年。ゴム印の「元」は削ればしばらく使える。)はどんな年になるかな。いや、どんな年にしよう。今年は受動的でたくさんのものをもらったから、それを少しでも返せるよう能動的になりたい。それから、某映画の続編じゃないけど、未知の旅へ踏み出そうかな。素直に。

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