見出し画像

日本人のジャズミュージシャンとして唯一アメリカのジャズの殿堂入りもしているジャズ界のレジェンド「穐吉敏子」さんについて

大西順子、上原ひろみ、狭間美帆・・・アメリカのジャズシーンにおいても
その名を轟かせた数々の日本人女性アーティスト。ジャズ界の野茂英雄、パイオニアにして唯一無二、そしていまだ現役で活躍されているレジェンドオブレジェンド、それが穐吉敏子さんです。

この方の解説は数多くなされているのでまずはそれらを紹介

この方の解説は数々の書籍、インタビューの動画なども上がっていますので、ここではその紹介をしておきます。

太平洋戦争世代特有の迫力

穐吉さんの紹介自体は上の様々なメディアに譲るとして、ここからは私が触れておきたい点をつらつらと書き連ねていこうと思います。私が穐吉さんのインタビューや記事、勿論音楽を通じて感じるのは「太平洋戦争を生き抜いてきた世代特有の迫力」です。美輪明宏、中曽根康弘、渡辺恒雄・・・その思想的内容はともかく、あの戦争を生き抜いてきた世代というのは特有の迫力を持っている、私はそう感じます。よく「戦争について語り継ごう」という話があります。私自身この話で感じるのは、この直接体験している世代と同じような説得力を我々が持つことは難しい、ということです。我々が出来ることとすれば「謙虚に学び感じ取ること」、そしてその姿勢を後世にも伝えていくこと、それしかないと思うんです。そして、穐吉さんもまたそんな世代の一人。ただ、穐吉さんは音楽を残してくれている。これはとても貴重なことで、穐吉さんの音楽には言葉以上に我々に訴えかけてくるメッセージ性がある。つまり我々はただ聞いて感じ取るだけでそのメッセージを受け取ることが出来る。それだけのメッセージ性のある作品を作るなんてことは誰にでも出来ることではない、穐吉さんだから出来た、本当にそれは有難いことだと思います。

能という側面を少し掘り下げてみる

それからもう一つ穐吉さんの音楽には能がよく使われます。それこそデビュー作となった【孤軍】の衝撃的な冒頭、あれを超えるものは未だ無いのではないか?と思えるほど圧倒的なオリジナリティと音楽性を発揮しています。

ここで少々私自身の話をさせて頂きます。実は私の母はかれこれ50年程能を習っており、師範として免許ももっています。能には現在「観世流」「宝生流」「金春流」「金剛流」「喜多流」の5流派が存在すると言われています。喜多流は江戸初期に創立したものなので、観阿弥そしてその子の世阿弥が大成させた室町時代から続く能は喜多流を除く4流派となります。私の母の流派は宝生流で、その特徴は「謡宝生」と言われるほど謡の回し方のところで細やか且つ優美な歌いまわしをします。ご覧になったことない方はこちらをどうぞ。

演目は「葵上」、源氏物語の車争いに敗れた後の六条御息所の部分を取り上げたところです。シテというのがいわゆる主役として舞っている人を指し、謡は後ろでうたっている部分になります。私はそれこそ物心つく前から母が家でこの謡の練習をしていたので、門前の小僧状態で何となく覚えてます。

そうやって育った私が穐吉さんの「孤軍」を初めて聞いた時、冒頭部分変な話ですが私にとってはとても馴染みがあるものだったわけです。それこそ「母さん、これ知ってる?」と聞いた程です。恐らく他の方はこの冒頭に相当前衛的なものを感じるのかもしれませんが、私にとっては逆でむしろこの後に出てくるビッグバンドパートの方に衝撃を受けたのを覚えてます。

MINAMATAにおける能の役割

穐吉さんのビッグバンドサウンドにはその後この「能」を取り入れるという手法が様々な楽曲で使われますが、私の中でそれが最もドラマティックに効果を発揮したのが「MINAMATA」だと思っています。

21分半に渡って繰り広げられる壮大なドラマの、その凄まじいばかりの緊張感は他に例を見ない程ですが、冒頭まだ幼い我が子、Monday満ちるに「村あり その名を水俣といふ なるこそあはれなりけれ…」と謡わせ、その後平和な村であることを表すように木管楽器の優しい音色のロングトーンを使いつつフリューゲルホルンが実に美しくメロディを紡いでいく。しかし同時に通奏低音のように響くブラスの低音、これがどこかこのドラマの向かう先を暗示するように響く伏線のように響く。その後、このブラスの低音に導かれるように第2幕が一気に幕を開く。疾走する一糸乱れぬアンサンブル、これが何かに急き立てられるような怒涛のフレーズ、その間にところどころ「何かがおかしい?」と思うようなメロディが入ってくる。しかし立ち止まることはない。何かがおかしくても走るしかない、まるでそう言わんばかりにバンドのアンサンブルはますます激しく疾走感を増していく。ソリストもバックの演奏も何もかもがただひたすら激しく激しく、その先に何が待っているかも考えずただひたすらに走っていく。また構成上、何度も同じフレーズが繰り返されるのだが、少しずつ何かが変わっていく。これがまさに「立ち止まることを許さないルーチンという近代」をまざまざと見せる。これほど素晴らしいアンサンブルなのに胸騒ぎがドンドン高まってくる。やがて満を持して【能】が現れる。そうここで【能】が果たしている役割、それは物語の終局に向かっていく【鬼】の役割になっている。この【能】の部分が物語が繰り返される度にどんどん膨れていく。最初は後ろの方にいた【能】それが最後はビッグバンドと逆転していく。そして終章、冒頭で無垢の少女が歌った歌詞を今度は【鬼】となった人ならざるものが謡う。全く同じ歌詞「村あり その名を水俣といふ なるこそあはれなりけれ…」しかしその歌詞が持つ意味が最早全く違うこと、それを聞くもの全てに突きつけて終わる。

能における【鬼】とは

いわゆる【鬼】というのは、単純に悪さを働くものとしてだけではなく、人としての業を背負いながら闇に落ちていく、今風に言えば「ダークサイドに堕ちる」に近い存在です。アナキン・スカイウォーカーがダースベイダーになるってやつです。ちなみに鬼滅の刃における鬼は割といいとこ取りしてて、鬼の設定自体は鬼無辻の血によってもたらされるということでこれはバンパイア・吸血鬼に近い設定だが、物語においては「鬼は人のなれの果て」という設定を使い、ここに関しては日本の伝統的な鬼の設定を用いることでドラマ性を生んでいます。さて、そんな【鬼】、能においては般若の面をつけることで表します。先程紹介した「葵上」でも六条御息所が嫉妬に狂い、鬼になるシーンがあります。20分過ぎに扇を投げ捨て着物を被り、25分過ぎ物語のクライマックスにて【鬼】に変貌します。さてこの変貌について、六条御息所は前半から中盤は小面という女性を表す面をつけています。

ところが終盤【鬼】に変わるところ、ここでは般若の面に変わります。

能というのは究極まで表現をシンプルにすることで逆に物事の神髄を見せる、そういう芸能です。例えば泣くシーンにおいても、シテは手を顔の前に当てるだけだったりする。先程の葵上の舞台でも8分50秒過ぎ辺りで見られますが、少し肩をこわばらせたと思ったら顔を少しうつむかせそしてそっと手を顔の前にやる。たったこれだけです。ただこれが逆に見るものの想像力を掻き立て、目の前で泣かれる以上に「悲しみ」の感情が観る者にダイレクトに入ってくる、これが能という芸能です。つまり【鬼】になるシーンも必要以上に何かが変化するわけではなく、ただ般若の面を付けているだけです。当然面ですから役者の表情なんて分かるわけではないし、「能面のようだ」という言葉が無表情を表す言葉であることを考えれば、如何にシンプルな表現であるかが分かるかと思います。しかしそれで【鬼】に変わった恐ろしさ含め十分伝わるわけです。

余談ですが、私の祖母も宝生流で母と一緒に能をやってました。その祖母の家に帰省すると当然のように部屋のあちこちに能のものがあったわけですが、よりにもよって客間に能面が飾ってあったんです。で、そこにまだ小学生頃でしたが一人で寝かされることがありましてね、布団を敷くとちょうど目に入るところに能面が飾ってあるんです。確か小面と翁面だったと思います。翁面はこれです。

これね、めちゃくちゃ怖かったですよ。まだ小学生ですから、何のことだかよく分からないわけですが、とにかくなんか見られてる感じがするんですよ。ただ面だけ飾ってあるだけですよ?何も霊感とかそういう話ではないです。分かるかなぁ?これは実際に体験しないと分かんねぇかなぁ・・・

要するに何の表情変化をするわけでもないお面、これでも十分に人の感情を揺さぶることが出来るということです。何も意味が分からない小学生だって十二分に怖がらせることが出来る。これ、般若の面飾られてたら間違いなくトラウマだったと思います。つまり般若の面をつけただけでも、十二分に【鬼】の怖さを感じることが出来るわけです。

MINAMATAのラストの【鬼】

さて【鬼】について書きましたが、先程も書きましたが【鬼】というのは「人としての業を背負いつつ、最後は怨念などによって人ならざるものに変わった姿」であります。これ、MINAMATAのラスト、そのまま考えてみてください。平和な村だった水俣、そこに近代化の波が押し寄せ、そしてもはや必然ともいえる形で発生した「水俣病」、誰を恨めば良いか、何も知らずに体を蝕まれた住民。これを【鬼】、すなわち人としての業を背負いながら人ならざるものに変わった姿として表現した。鬼は人のなれの果て、業を背負いながら闇に落ちる、そういうものとして表現した。

音だけなので実際には分かりませんが、恐らく能舞台であればあのラストはシテが般若の面をつけ観客席に向かってただ立ち、そこに後ろから「村あり その名を水俣といふ なるこそあはれなりけれ…」と謡う、そういうシーンだろうと思います。シンプル故にシテが抱く情念の炎というのものを感じずにはいられない、恐らくそういう舞台になったはずです。アメリカにおいてこの物語を当時どれだけ理解していたかは分かりませんが、それでも穐吉さんは意思をもって曲を作った、そう思ってます。

いかがでしたでしょうか?今回は孤軍やMINAMATAといった特にカラーの強い作品を通じて穐吉さんのことを触れてみました。勿論穐吉さんの作品はこれだけではありません。レジェンド過ぎてとてもとても1つのブログ記事で書けるようなものではないので、折を見ながら色々と書き連ねていけたらと思っております。以上、ビッグバンドファンでした、ばいばい~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?