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エリントンの最後と3つの組曲、ベイシー、そしてサドメル・・・グラミー賞受賞ビッグバンドを年代別にみていく【70年代編】

はい、ビッグバンドファンです。今日はグラミー賞の「最優秀ジャズ大規模アンサンブル・アルバム賞」1970年代の受賞作について見ていきたいと思います。

1970年代のBig Band部門の受賞者

では1970年代の「Big Band」部門の受賞者を見て行きたいと思います。受賞者一覧は以下の通りです。

第12回(1970年) Walking in Space Quincy Jones
第13回(1971年) Bitches Brew Miles Davis
第14回(1972年) New Orleans Suite Duke Ellington
第15回(1973年) Togo Brava Suite Duke Ellington
第16回(1974年) Giant Steps Woody Herman
第17回(1975年) Thundering Herd Woody Herman
第18回(1976年) Images Phil Woods
第19回(1977年) The Ellington Suites Duke Ellington
第20回(1978年) Prime Time Count Basie
第21回(1979年) Live in Munich The Thad Jones/Mel Lewis Orchestra

第12回と第13回がおや?と思いますよね。これは賞の対象が影響していて、賞名が65年から71年までは「Large Group or Soloist with Large Group」だったんです。ここからは私の考察ですが、67年の受賞者無しを挟んでいるものの、66年から69年まではデュークエリントンが受賞していました。しかし、この時期ビッグバンドは商業的にかなり苦境に立たされていた一方で、クインシー・ジョーンズが徐々にジャズからより広い世界へと歩を進めていきヒットメーカーとしての地歩を固めていく、また後期マイルスの金字塔的作品である「Bitches Brew」も出てきた。

またグラミー全体で見ても、第12回のAlbum of the Yearは「Spinning Wheel」を引っさげて登場してきた「Blood, Sweat & Tears」が受賞

そして第13回、この回から初めて授賞式をテレビでリアルタイムに中継することが始まったのですが、その華々しさが伝わってくるように最優秀新人賞が「Close to you」のカーペンターズ

Record of the yearはサイモン&ガーファンクルの「Bridge Over Troubled Water」という、時代が変わったことを印象付けるような作品が受賞しています。

ちなみに「Bitches Brew」はマイルスのアルバムとしては初めて、本国アメリカでゴールド・ディスクに達し、総合チャートのBillboard 200で自身唯一のトップ40入りを果たしているという、「Kind of Blue」と並ぶマイルス最大のヒット作と言っても過言ではない程のヒット作品です。

また、この時のアメリカはベトナム戦争後期であったことを忘れてはいけません。冷戦体制真っ只中です。そうした社会情勢の良くも悪くも何もかもを飲み込みどこに向かうかも分からない、時代のうねり、でも熱量と勢いだけはとんでもなくある、そうした大きなものを感じずにいられません。実際そうした時代を象徴するような受賞も記録されています。第12回で故マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「Why I Oppose The Vietnam War」がグラミー賞の最優秀音声録音賞を受賞しています。

昨年のBlack Lives Matter運動を始め、Me too運動等も日本に限らず世界中を巻き込み報道もされていますが、そういう意味でこの70年代のアメリカに感じるものは現代にも通じている、そんな風に思います。

70年代もデューク・エリントンの存在感は別格

さて、そんなビッグバンドファンからすると少しビッグバンドから離れた話から始まる70年代グラミー賞ですが、第14回、72年からは賞名に「ビッグバンド」と明示されるようになり、受賞者にもお馴染みの名前が並んできます。

その中でもやはり大きいなと思うのが、60年代後半に続き70年代でも3回のグラミー賞を受賞しているデューク・エリントンです。受賞作の3枚にSuiteという単語が付いているように、この時期に限らずですがエリントンの組曲と呼ばれる作品が特にこの70年代には多数出てきています。なによりエリントンの凄さを感じるのが、エリントンは1974年、74歳で亡くなっているということです。つまりご自身もまた70代に入っていながら亡くなる前年まで作品を精力的に発表、しかもそれがグラミー賞受賞にまで至っているというね。更に1977年の「The Ellington Suites」は死後に発売されたもので、これもグラミー賞を受賞していて、やはりビッグバンドおよびジャズを語るうえでこの偉大な音楽家は外せない、改めてそう感じます。なお、77年グラミー賞受賞の「The Ellington Suites」はそれまで未公開であった3つの組曲をまとめて発表した作品です。特に英国エリザベス女王に捧げる組曲として1959年当時に1枚だけ制作・献上されたThe Queen's Suite、日本名は「女王組曲」となりますが、これは十数年の時を経て初めてアルバム公開されたものになります。エリントンが生きているうちはエリントン自身の考えで複製が許されなかったそうです。あとは仏グーテラス城の修復落成式の感動を表したThe Goutelas Suiteと、米ウィスコシン大学のエリントン・フェスティバルに因むThe Uwis Suite、ということで、この3組曲と共にエリントン作品の真骨頂に浸れるアルバムです。実に様々な情景のインスピレーションを個性的なオーケストラを使って美しい音楽に具現化する、「私の楽器はオーケストラ」と言ったエリントンの最晩年のまさに「美」を象徴するような作品、是非聞いて頂きたいです。本当に美しいの一言なので。

60年代の初受賞から10年、再びの登場「ウディ・ハーマン」

そこに更に顔を出してくるのが、60年代にグラミー賞を初受賞、ジャズ史上初の株式会社組織でのビッグバンドを設立、「売れる楽団」を目指し経営改革にも邁進したウディ・ハーマンです。一貫してトレンドを取り入れる姿勢、これは60年代以降も続いており、実際64年の第6回グラミー賞で初受賞となって以降もノミネートはされ続けてきていました。ですが受賞には至らずということが続いた中、70年代に入ってからはより若いメンバーと音楽を取り入れYoung Thundering Herdとも呼ばれる時代に突入し、ついに10年ぶりのグラミー受賞となったのが「Giant Steps」というアルバムになります。

このアルバム、恐らくビッグバンド愛好家の間ではかなり知られているアルバムだと思いますし、演奏家の間でもこのアルバムの楽曲を1曲、2曲、場合によっては全部やったことがあるという方も多いのではないかと思います。それぐらい今聞いてもキャッチーですし、ビッグバンドを活かしたダイナミクス、選曲やアレンジの良さも光る、そんなアルバムです。とにかく1曲目からぶっ飛ばしてくる「La Fiesta」、これは先日お亡くなりになられ世界中に衝撃が走ったチック・コリア氏の曲です。ちなみに原曲は1972年のReturn to Foreverで発表されているわけで、ここにもハーマン氏の「いいものはすぐに何でも取り入れる」まさに「売れる楽団」の真骨頂が見られます。チック・コリア氏の原曲がそもそもカッコイイので、当然ビッグバンドにしてもカッコイイという。美味しいものに美味しいものを混ぜたら美味しいものになる、違うか?いや、そういうもんですよ。カッコよくないわけがない。しかし、それをすぐに実践しグラミー賞受賞まで持っていく、これがウディ・ハーマン氏の凄さなわけです。しかも面白いなぁと思うのが、そんなキャッチーな曲を1曲目に持ってきていながらアルバムタイトル曲は「Giant Steps」というね。

Giant Stepsは1960年にジョン・コルトレーンによって発表されている楽曲です。

ここまで話している通り、70年代ではマイルスもエレクトリック期に入り、チック・コリアがReturn to Foreverを発表しているんです。ウディ・ハーマンも試行錯誤しながらFour Brothersから脱却を図ろうとし、乾坤一擲発表したアルバム、そのアルバムのタイトル曲が言葉は悪いですが一昔二昔前に発表されたジャズの巨人の曲という。何故なんだろうと思うんです。

これはもしかしたら次のアルバムとも関連があるのかもしれません。ウディ・ハーマンはこのGiant Stepsを大ヒットさせた後、翌年も「Thundering Herd」というアルバムでグラミー賞を取っています。

路線は全く同じで、エレキベースなどの電子楽器を見事にビッグバンドに取り入れながら、スウィングではないビート、様々な音楽の要素を実験的ではなく誰もが聞いてカッコイイと思える形で取り入れることに成功し、アルバムにまとめたわけですが、やはり1曲目。これが先程のGiant Stepsと同じくジョン・コルトレーンが1958年に発表した楽曲「Lazy Bird」なんです。

しかもThundering HerdにはGiant Stepsに収録されたコルトレーンの曲「Naima」も入ってます。

なんだろう、ハーマンはコルトレーンをリスペクトしてたのかな?それともコルトレーンの楽曲に、アレンジによってはキャッチーに仕上げられる、そういう要素を感じていたのか?ここまでくると、何らか意図を感じます。どこかにこの辺の記録残ってないかな?ハーマンが何を意図していたのか、知りたいなぁ。

Phill WoodsとMichael Legrand

そして第18回以降は毎年受賞者が変わります。18回はPhill Woodsとなっていますが、これはPhill WoodsをフィーチャリングしたMichael Legrand Orchestraとの共作になります。

ウディ・ハーマンが見せたトレンドを取り入れた選曲やアレンジという方向性は勿論のこと、ルグランはジャズ部門ではなく最優秀インストュルメンタル部門で既にグラミーを受賞しており、インストによる表現に関しては熟知しています。このアルバムもそうしたルグランの洗練したサウンドを存分に堪能することが出来、思わず「ウッズもこりゃさぞ気持ち良かっただろうなぁ」なんて想像してしまいます。1曲1曲の尺も程よい長さになっており、じっくり聞くにも流し聞きするにも良いという、そんなアルバムです。

ついに出てきたカウント・ベイシー

更に19回は先程ご紹介したエリントンの組曲アルバムで、20回はようやくこの方が出てきました。カウント・ベイシーさんです。実はベイシーさん、この方もグラミー賞自体は既に受賞していたんです。グラミー初期の1959年に「最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞」を「アトミック・ベイシー」で受賞している他、ダンス音楽部門というLarge Group部門とは別の部門で61年「Dance Along Aith Basie」、64年「This Time By Basie」でそれぞれ最優秀賞を受賞しています。

しかしながらその後はビッグバンド全体の商業的低迷のあおりを受け、グラミー受賞からは遠ざかります。そして70年代に入り、次の受賞がこの「Prime Time」の前年、「Basie & Zoot」で最優秀インプロバイズド・ジャズ・ソロ賞の受賞となります。

そうなんです、ベイシーさんはビッグバンドだけじゃないんですよ、というね。これは結構貴重な話かと思います。ビッグバンドが商業的になかなか難しい状況となっても、ミュージシャンはその腕と共に演奏を披露する機会をいつでも求め、その機会が訪れればいつでも素敵な演奏をする。Basie & Zootを聞くと、そんなベイシーの姿が目に浮かんできます。エリントンのデュークに対抗してカウントと名乗り始めたベイシー、そのエリントンが他界し、ビッグバンドは市場として商業的に後退、ジャズもフュージョンにプレイヤーが寄っていく、そうした流れの中でquartetで披露するベイシーのピアノ、聞くと分かりますが、その時代の空気感を想像しても既に「懐かしい」と思った人が多かったんじゃないか、そんな風に思います。ベイシーのイントロを聞いた瞬間に「あぁ~~~~~!!」とか「これよ、これ!!」って当時の人もなったじゃないかなぁ?そんな気がします。

そんなBasie & Zootを経て、ついに再びビッグバンドでグラミー賞の舞台に出てきたのが第20回の「Prime Time」です。

ビッグバンドを少しご存じの方であれば説明の必要も無いと思いますが、後期ベイシーではすっかり定着したネスティコ・ベイシーのゴールデンコンビによるパブロレーベルからのベイシーアルバムです。やっぱりベイシーの4ビートは最高だぜ、と言わせるだけの演奏をしてくれます。あとは、まぁネスティコさんもやっぱりやってみたかったんでしょうね。「Bundle O’Funk」、タイトルの通りちょっと流行りに乗ってみたというね、そんな楽曲です。

演奏は最高にいいんですよ、カッコイイ。ただ、まぁね、ウディ・ハーマンやスタン・ケントンとは楽団の色が違いすぎるというか、ちょっと無理がある。でもそれでもいいんです、最後にYa Gotta Tryが来るしね。

ただこれもね、日本でもアマチュアのビッグバンドさんがYa Gotta Tryをよく演奏しますが、大抵はBuddy Rich楽団が演奏したバージョンをやってますよね。まぁ、あっちの方がキャッチーだからなぁと思いますが、一応原曲はこっち、Prime Timeに収録されている方だよ、というのは知っておいていいと思います。

そしてついにサドメルも

というわけで、ベイシーもビッグバンドでグラミーを取った、その翌年にこれも来ましたね、サドメル!!Thad Jones & Mel Lewis Jazz Orchestraです!!結成は1966年。ビッグバンドの商業的苦境が続く最中、腕利きミュージシャンが月曜日の夜に集い演奏を披露するリハーサルバンドから始まり、これが人気を呼び、やがてビッグバンドとして正式結成。「Monday Night」ニューヨークのジャズのライブハウスに今も続く月曜夜にはビッグバンドが演奏するという習慣、これの原点となります。黒人のThad Jonesと白人のMel Lewisによる双頭バンドという形式で、その後ジャズ・ビッグバンドシーンに大きな影響を与える数々の若手ミュージシャンを積極的にメンバー、アレンジャー、コンポーザーとして起用、今もVanguard Jazz Orchestraという名前で活動が続けられている、現代に続くジャズ・ビッグバンドの歴史を語るうえでは絶対に外せない、そんな存在です。実はこのサドメルバンドも結成後数々の名演を披露し、グラミー賞にもノミネートは続いていたのですが、受賞となったのはこの「Live in Munich」が初めてとなります。ただ、サドメル存命中のグラミー賞獲得はこの1回限りで、その後はVanguard Jazz Orchestraとなった2008年のMonday Night Liveになります。また、バンドとしても1978年にはサド・ジョーンズがデンマークのコペンハーゲンに引っ越してしまい、以降はメル・ルイスジャズオーケストラとして活動していくことになります。このグラミー賞受賞は丁度その境目の時期になり、サウンドの中にサドがいるアルバムになります。というわけで、Come Sundayではサドがフリューゲルホルンで実に美しくメロディを奏でてくれています。

というわけで、70年代グラミー賞受賞ビッグバンドについて見ていきました。いかがでしたでしょうか?時代のうねりのようなものを感じながら、書いているうちに熱くなったりもしました。そんな時代の熱さなどを感じながらまたサウンドに耳を傾けて頂くと、より味わい深く聞いて頂けるんじゃないか、そんな風に思っております。ご興味お持ちいただけましたら、是非ね実際にアルバムで音を聞いてみてください。ここまでお読み頂き、ありがとうございます。気に入っていただけましたらフォローよろしくお願いします。では、ビッグバンドファンでしたぁ、ばいばい~

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