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マジのひとり言。

なんで人は人を傷つけるのかな。
自分という存在の枠が多数派だっただけで、多数派が少数派を認めるかどうか決めるってきもい。
認めるもなにも、すでにそこに存在してんだけどな、誰かの許可なんていらないよな。
許可するとかその発想自体が傲慢だよな。
人生の悩みは、すべて人間関係とアドルフアドラーは言った。だとすれば、対人関係スキル、知識を持つことで悩みが減るよな。
対人関係のスキルは、経験の中から培うものと思っているやつが多すぎないか?確かに実際に経験することで身につくが、知識が事前にあって、意識することで少しずつできるようになる。
知識もなく、行き当たりバッタリで失敗と経験を繰り返していくのは、聞こえはいいかもしれないが、無駄だと思う。
「農業の知識」というものがあるのに、一切勉強しないでやる人いないじゃん。50年かけて出来たこと1年でできるぞ。だから勉強って大事、勉強は先人の知恵。過去から学ばないやつの成長スピードなんてたかが知れているからな。
知識を持って仮説を立てて、検証して実証するから、失敗も活きてくる。
本はその人の何年、何十年という知識や技術、経験を、まとめて言語化しているわけで、それを1500円程度で買えるなんてコスパ高すぎよ。
「本なんて読んで頭デッカチになるぞ」ってたまに言われるけど、自分というサンプル数1のたかだか数十年での経験で出来た考えこそが、凝り固まっていくと思うけど違うかい?
新しいもの、他の人の考えを、受け入れることができないから、そんなセリフが出てくると思う。
誰かの考えや行動を否定するってことは、否定した選択肢を人生から除外していることに気づいてほしいもんだな。俺はその否定している人を否定しているのかな?いや、これは独り言だから、そういう考えの人にこういう風にするといいと思うんだけどな、と「思ってる」だけかな?
直接、お前の否定する態度はクソだぞって言ったら否定になると思う。
直接そいつに何かを言うとしたら、「そういう考えなんだね、俺はこう思うんだ〜」って伝える。こういう選択肢もあるんだよって。どっかの国のことわざに、「馬を水飲み場へ連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ってあるよな。イギリスだっけ?俺の座右の銘にしようかな。そうしよう。

自分、人の考えていることを知るのが好きなんですよ。でもいつも見ている文章は、伝えることを前提に言葉を考え、文章を構築していると思うんですよ。でも別に誰かに伝えることとか考えずに、その瞬間に思ったことを知ってみたいなと思ったので、まずは自分がやってみました。
ということで毎朝している思ったことを言語化した内容をそのままコピペしました。

またね!

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