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母の日の手紙
最近Hip-Hopにはまってて、気がつきゃ韻を踏んでいる、保育士界の救世主。おおきな木とは俺のこと、つまらない明日には興味なし!
説明します。
「踏んでいる」と「救世主」/「おおきな木」と「興味なし」で踏んでいます。
すみません。行かないでください。
さて、みなさんは母の日に何をしましたか?
恥ずかしながら私は、今まであまりしてきませんでした。
気が向いた時にちょっと花を買う程度。
私が物心つく前に離婚し、大変だったと思う。反抗期とか特になかったけど、友達とたくさんバカなことをしてきたし、たくさん迷惑もかけてきた。
そんな母に対して特に何もしてこなかった。めっちゃ反省してます。ごめんなさい。
親の影響もあり、幼い頃から警察官を目指していた私。
しかし、今まで出会う先生が素晴らし過ぎたのと、子どもが好きだったこともあり、高校3年の夏に突然「俺、保育士になりたい」と伝えた。母はもうびっくり。
「保育士は女性職場で大変だし、給料も安く、一生働くことは難しい」と。「それでもやりたい」と伝えたら、言いたいことをぐっとこらえて、「応援するよ」と言ってくれた。
でも目指すなら「公立で公務員目指しなよ」とアドバイス。
そんで頑張って、公立の保育士になれた。なんやかんやあって、やっぱり保育士って最高、大切な仕事だと感じた。でもその感じたことと、社会の評価が一致していなくって、もどかしい日々を送った。そこから、政治家を目指すことになった話はまた今度。
保育士5年目、年長のみんなと一緒に卒園することが決まっていた私は、子どもや保護者に伝える言葉を考えてた。
そしたら、母親との思い出とか、いろいろなことを思い出したんだよね。
それと同時に、所長に言われた「あの時の言葉は忘れないよ。」いう感謝の言葉。言葉は心に残り、支えてくれたり、勇気をくれたりする。そのことを思い出した。
卒園式も無事に終わり、家に帰ってすぐに手紙を書きました。母の日とか待っていられなくて、週末すぐに会いに言って、直接手紙を読みました。
今日はその手紙をのせておきたいと思います。
なんでかって、
思いとか気持ちとかは言葉にして伝えないと、無いのと一緒だと思ったから。
もしこれを見て、一人でも大切な人、大好きな人に感謝の気持ちを伝える人がいたら、この記事には大きな価値があると思ったからです。
じゃ読むね。
普段あまり、気持ちを伝えたりすることがない俺だけど、この間卒園式もあり、考えさせられることが沢山あったから、たまには伝えようかなと思い、手紙にしました。
保育士になって5年が経ちました。忘れっぽくててきとーな俺はたくさん間違えたり、失敗をしたり、先輩や上司にたくさん迷惑をかけてきた。落ち込むこともたくさんあった。でも絶対に心が折れることはなかった。(みんな優しかったことも大きいけどね)失敗しても、いつも「伸びしろだな」「この苦手な事を克服したら俺は完璧だな」「俺はまだまだ成長できるな」とか思ってた。自己肯定感や自尊心がめちゃくちゃ高い。なんでかなーと思った時、お母さんの顔が出てきました。小さいころから「あんたならできるよ!」「すごいね!」「がんばったね!」とか、今でも覚えているのが、俺が嘘をついて周りの家族が「嘘だよ!」と責め立てるなか、お母さんだけは「本人が違うって言ってるんだからそれでいいでしょ!」と守ってくれたよね。明らかに嘘だってわかっているのに、それでも守ってくれたことがすごい嬉しかった。その瞬間に全てが変わったわけじゃないから、その後もたくさん悪さやバカもしたけど、今になって振り返ると俺のルーツはそこにあるなとすごい感じます。今では保育士になって、子どもはやっぱり可愛くて、保育という仕事の素晴らしさや、大切さを強く実感しました。保育業界を、子どもの未来をより輝かせるためにはどうしたらいいかなと考える毎日がとても楽しいです。俺を生んでくれてありがとう。
母は手紙を出した瞬間から泣いていた。
泣きながら「生まれてきてくれてありがとう」と言っていた。
そこから母の思いとか、いろいろ話することができた。
そして、政治家になる決意や、計画も伝えました。
母「あんたならできるよ」
頑張ります。
またね。
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