教わらないほうが学びが身につく話
大工仕事みたいなものが好きだ。
職人さんに憧れを持つ。
それはたくさんの経験から物事を学び、それを次の仕事に活かし、また学ぶというサイクルを自然と暮らしや仕事に取り入れているからかもしれない。
また、人生終わるまで学び、というような生き方をしている人が多い。
手取り足取り教えてくれることとその人の背中を見て学ぶこと。
すぐ「わかった」気になり、自分の力になったと勘違いするのは前者。
すぐには結果が出ずとも、心を動かされ、その後の自分の実践とともにその手にしっかりと技術が残っていくような本質的な学びは後者。
年を取れば取るほど本質的な学びしかいらないと思う。それは自らの実践の中にあると感じる。
学び手自身の体制なのかもしれないと思った。どれだけ強く学びたいと思うか。どれだけ強く「そうなりたい」と感じるかどうか。その後の実践につながるかどうか。
これを教える側からみてみると、ふだん実に自分が「教えてない」かわかる。
うわべだけの言葉の作業説明はうまいかもしれないし、そこに力を入れてしまうのだけど、そうではなくて、また実践したいというモチベーションをどう上げられるか?それには何が必要なのか。
そんな事を考えた午後だった。
教わらないほうがいい。実践を重ね続ければいい。そうすればある時カラダが自然と学んでいる。
手段と目的を見誤るな。
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