創る人にあこがれる。



暮らしの中で、自分のモノを創る人にあこがれる。
ものの出来ばえよりも、自分で創るのだというチカラにだ。
そのチカラを出すことになれている人は、他人の支配から自由だ。
モノを創れるチカラをすぐ出せる人は、他人に頼らなくても、モノを買わなくても生きていける。

そして、そのチカラは後天的につけることが出来ると思う。
実践と失敗を重ねるだけなので誰にでもできる。
そういうことを繰り返すことで、自分の特徴に気づき、他人との違いに喜べ、なにが自分にあって、他者に貢献できるのかがわかるのだ。

創るのはモノに限らない。
モノが創れないからといって悲嘆に暮れる必要はない。

人間関係を創る人、場を創る人、雰囲気を創る人、文章を創る人、音楽を創る人、映像を創る人、、、

一流である必要はない。その「創る」という作業が、自分の生きることに直結して楽しむことができているならば。

そう考えると誰もが何かを創っているのではないか。人間みな、何かしらのアーティストなのだと思う。

自分が何を創るのが得意か、好きか、嫌いか、そういうことに正直に生きると、その人のまわりにはその行為を助ける人たちが集まり、本人が望まなくてもどんどん前に進めてくれる。

自分に嘘をつかないことだ。
好きなことを続けることだ。
時間を注ぐことだ。
夢中になることだ。

そんなものひとつもない?!

そんなものがひとつもないことがあなたの創る理由となる。真っ白なキャンバスになにを書こうか、自由が目の前に広がっている。
実践と失敗を重ねて行け。
十年たてばなにかしらの創り手になっていることだろう。

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