就活生の苦悩

私は今就活生だ。世間ではコロナ世代だの就職氷河期の再来だのと言われ、どうやら就活生というのは今大変な状況にいるようだ。しかし自分はまだあまりその大変さも実感できずにいる。なぜか。

大前提として、労働はしたくない。もちろん社会にも出たくない。断固願い下げである。そんな気持ちで就職活動に全身全霊で臨めるはずもない。ゴール地点に罰ゲームが用意されているというのに、誰が全力疾走する気になるというのか。「ここまでよく頑張ったね!ご褒美に今日から40年間労働ね!」

何かがおかしい。狂っているのは自分なのだろうか。

だから就活にはイマイチ身が入らない。説明会等が中止になり、むしろ安堵する気分だ。しかし、現実問題就職しなければ生きていけないこともわかる。いや、この日本なら何とか生きていけないこともないが、人権をはく奪され、死ぬよりみじめな生活を送ることになる可能性が高い。

人間やめますか。就職やめますか。

この分岐路の先は、いずれ生き地獄である。

話は変わるが、人身御供とか、人柱とか聞いただけでなんだかぞくぞくするものだ。今じゃ考えられないが、大昔は儀式として行われていたらしい。フィクションだと生贄に選ばれた人間が殺される前に腹いっぱいおいしいものを食わせてもらえるみたいなシーンをよく見るけど、実際どうなんだろう。歴史的事実はわからないが、今私はそんな人柱の気分である。

大学という学び舎では学ぶことを放棄し、部活は3日で退部、ぬるま湯のようなバイトすら腰を折って辞めた自分だが、それでも今思えば大学生活は悪くなかった。どれだけ惰眠をむさぼっても、単位を落としても、誰にも怒られず、責任なんて言葉とは縁なく生きてこれた。なんと素晴らしい無駄な日々を送ってきたのだろう。大学生の期間は、人身御供の話でいうところの生贄前夜だ。今なら、現代に生きる自分にも大昔の生贄に処された人たちの気持ちがわかるかもしれない。最後の晩餐はきっと味がしなかったころだろう。何をしてても就職がちらつく今の自分の頭では、楽しむことすらできないのだ。

大学生の間はモラトリアムだとよく言われる。猶予期間とはよく言ったものである。「猶予」なんて言葉は執行猶予とか、犯罪者の報道でしか聞いたことのない言葉だ。私たちの犯した罪とは何なのだろう。この世に生まれた時点で原罪を背負っているというのはあながち間違いじゃないかもしれない。



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