『妄想にタブーなし』 (『出版業界唯一の専門紙 新文化』コーナー『本を手渡す人』掲載記事)

(こちらは出版業界唯一の専門紙 『新文化』 2023年3月30日号に掲載された記事になります)

本屋を営むかたわら、趣味の範囲でサブカルオタク史の研究啓蒙活動に精を出している。
こうした分野は近年やっと文化的に評価や研究がなされ始めてはいるが、まだなかなか歴史的文脈が共有されていないと感じる。
元々の担い手にはこうしたちょっとアカデミックなことに興味ない層が多く、雑誌やミニコミ、イベントや個人の記憶など残りにくいものが資料となることが多い。複数の領域にまたがることが往々にしてあり、調べる方は広範囲に及ぶ知識が必要になる。
 こうした文献は国立国会図書館などに納入されていないことも多く、市中での探索が主となり資料のかき集めが大変だ。
 最近、鬼畜・悪趣味文化が一部界隈で注目されている。1980~90年代に起こった、その名が示す通り正視に耐えぬドラッグや死体、弱者いじり、ゴミ漁りなどの反社会的な行為、それら現代の倫理観で肯定しかねる題材をゲスな文体で消費するというブームだ。
 一昨年、小山田圭吾はオリンピック開会式の楽曲制作を担当していたが、過去に発表されたいじめ加害者告白インタビュー記事が発見され、ネット上で炎上し辞任した。
 当該記事の発表時期は、鬼畜・悪趣味ブームのただ中だった。
小山田を擁護するつもりはないが、炎上時のネット空間ではブーム当時の社会の空気感や出来事、牽引した当事者の言説などがあまり参照されず、一方的に断罪され、これらについて語る事すらタブーという空気が熟成された。
 このブームを牽引した者達には、精神を病み不幸な結末を迎えた者、足を洗った者、作風を転向した者などが多く、いまだ鬼畜を演じ続けている者は少数だ。
 彼らは悪趣味の極北を通し、当時急速に形成されていた公衆衛生のバグの中、そこからあぶれる弱者達に対して、最後の周辺を見せることで物語を相対化し、救済を実験していた。
それは安易な模倣や、やがて鬼畜文化に取って代わったネットのアングラ文化などとは一線を画す、気骨ある表現活動でもあったのだ。

だが加熱するブームのなか、その思想が共有されないまま安易な模倣者を生み出してしまう...(文字数)



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