ぐらんま 200309


父が生まれた昭和20年は終戦の年。
その母である祖母が生まれた大正12年は関東大震災の年。
という事でこの親子の生まれた年は覚え易い。

その祖母が昨年2月に転倒して後頭部をぶつけて以降、起き上がれなくなった。
「そのつもりでいておくように」
と言われてから早一年以上。
祖母はあの時のまま病院のベッドに寝たままだ。

「そうすけ君は友達が沢山出来るのは良いんだろうけど、友達に拘りすぎて次の1歩を中々踏み出せない所があるから、私ゃそれが心配なのよ」

「だからそうやって中国や中国の友達にいつまでも拘ってないで早く帰っておいで」

これは中国から完全帰国する2年前くらいに祖母から言われた言葉。
今思えば最も俺の事を一番理解してくれてるのは祖母だったのかもな、と思う。

2008年に俺に会いに上海に来てくれたのが最後の海外旅行だったそうな。
もう1回くらい上海蟹一緒に食べても良かったな。。
あの時は森ビルの展望台上がってあまりの高さに驚いて腰抜かさせてしまってごめんね。
あと、もっと遡って2000年に北京を一緒に観光した時、気温40度の夏の天安門広場を長々と歩かせてごめんね。その後凍って瓶から出て来ない燕京啤酒頼んじまってゴメンよ。

またみなとみらいのイタリアンでワインを飲んだり、伊勢佐木町の映画館で映画を見たり、鶴見のキリンビール工場で出来たてのビールを一緒に飲みに行きたいな。

まぁ、俺はいつでも行けるように待ってるよ。

つづく

>>祖母が意識不明状態になったのが2019年2月。
俺の腎臓が悪化し、入院、透析、手術と言った一連の騒動があったのが、2019年7月から2020年3月。
俺の事を大好きだった祖母がこの件を知らぬまま眠り続けていたのはある意味良かったのかもしれない。
もし、意識があってこの件に触れ合っていたらショックとストレスで身体を悪くしていたかもしれない。

そんな俺の感傷を他所に、この一週間後の3月16日午前11:00、祖母は永眠した。